25歳で献血100回到達!!その向こう側に待っていた世界とは。
2025/8/16 13:34
25歳で献血100回到達!!その向こう側に待っていた世界とは。
【2019年2月】
25歳の松井一矢は積み重ねて、
献血が累計100回に到達しました。
1つの壁に辿り着いた感覚を持った瞬間。
累計80回を越えたあたりから
本当に100回越えられるんかな?
不安な気持ちも正直抱いていた。
けど到達できた時、気持ちは
とても晴れ晴れした感覚でした。
【100回を目指した理由】
それは、さまざまあります。
一番本当のコトを言えば、
「100回到達したら世界はどうなるのかな?」
100回到達した先にある未来に対し
ワクワク感を持っていた。
何も影響力がない。
ニュースにも出ない。
芸能人でもないし。
みんな自分を知らない。
いつも心は1人ぼっち。
何の為に生まれたんだろう?
生きる理由、生まれた理由を
求めていたのかもしれない。
自分は小さな光。
今は小さな光だけど。
きっと未来では。。。
※フリーペーパー「ゲンキチャージマップ」に掲載されました。
献血は当時の自分にとって
生きている理由の1つでもありましたし
患者さんにとっての希望の光と言いますが
私自身にとっても、希望の光の1つでした。
【2019年5月】
奇跡は起きるし、夢は叶う。
資金調達において限界突破。
借金こそしてはいませんが、
半分、無理やり出場をしたのが
「トライアスロン世界選手権」
スペイン・ポンテベドラ大会!!
人生初めて日本代表選手として
日本代表選手団の一員として
世界選手権大会に出場をした。
予選会で1番になった人は
旅費が支給される噂を聞いたが
自分は4番手で拾って貰った形。
試合に出場する公式ユニフォームも
公式ジャージも、公式ウェアも、
試合の参加費についても、
当然、旅費(飛行機+ホテル代)も、
すべて自腹。
それでも出場したかった。
そして生まれたのは
(自称)
25歳で献血100回越え
トライアスロン日本代表
という日本唯一の選手になれた。
トライアスロン世界選手権 スペイン/ポンテベドラ
【まさかの時代】
誰も未来を予測することはできない。
誰がコロナ禍、戦争を予測しました?
けども、未来を創造することはできる。
献血100回を越えた先の世界は
より献血について、みんなに広め
命と人生について深く考えながら、
「生きたい!」と願う人々に対して
希望の光を届けることや、
現実に向き合う勇気を持つこと、
困難に挑み、困難から宝を取り出す
生き方を世に伝える!といった志。
使命が自分に与えられてる気がした。
【小学生時代のイジメ】
「生きてる価値なんかない!!」
そう想った小学3年生の頃。
何の為に生きてるのか?疑問を抱いた。
学校では仲間外れ、親には怒られるし、
先生なんて相談しても受け止めない。
ずーっと、心は1人ぼっちで生きた。
それでも生きてる理由を探す日々。
めちゃくちゃに思い悩んだ時、
一層自殺という手段を選んで、
自分をイジメてきた奴らを見返す!!
自分の命で、奴らが反省するなら
それはそれで自分が生きた価値がある…
とまで思い込んだ小学3年生の自分。
けども思い止まった理由は1つ。
「未来に行けば、きっと」
「自分を必要とする人が居る」
今から思えば神様からのお告げ。
希望の光を捨てず、忘れず、信じる。
未来にある希望の光を
手放すことはなかった。
だからこそ今があるし、
今という時を過ごせてる。
今、私は生きている。
さらに夢に向かって精進できている。
夢を描き、チャレンジできている。
周りには多くの仲間たちが居る。
集い合い共にトレーニングしてる。
これほど幸せな現実があるなんて、
当時の自分は想像もできなかった。
夢が無く、希望も無く、
ただ生きていただけの人生から
人生に目的と意味を見出だして、
それらを果たす為に生きる人生へ。
これは大きな違いであり転換です。
だから夢は無いなら無いで
それは、それで良いと思う。
「好き!!」「これだ!!」
ビビッと来る感覚があると信じて
苦手や困難に感じることに飛び込む。
しんどい!と思うことをやってみる。
エネルギーを湧き出さないといけない
エネルギー満載出せば達成できそうな
物事をなんでも、まずやってみること。
第一歩を踏み出せば、後知恵をする。
どう感じ、どう受け止めたか味わう。
感想を素直に言うのは難しい。
正解をどうしても求めてしまう。
どう感じ、どう受け止めたかなんて
人それぞれ。答えなんかないのが答え。
オリジナル。オンリーワン。
あなただけの答えが必ずあるから。
感想を言う練習をしていこう。
素直に、率直に、ストレートに。
【翌年からコロナ禍】
順風満帆な2019年という1年間。
夢も描けて、使命も、志命も見つかり
人生の役割を果たすぞ!と心を燃やし
勢いに乗った2019年25歳での1年間。
2020年、まさかの時代がやってくる。
すでに年齢は26歳だぞ。
幼い頃に描いた26歳になれてる?
まさか、まさかの連続が訪れる。
【試練は呼び掛け】
時を越え、2020年7月。
私はもう一度、日本代表選手として
超人レース「ウルトラマン・トライアスロン」
という試合に出場する予定だったのですが、
地球を巻き込んだコロナ禍(COVID-19)の影響で延期。
2021年7月に出場をすることになりました。
しかし、まさか!これは自分でも驚きました。。。
それは、2021年3月のこと。
私のスマートフォンに1通の連絡が届きました。
「あなたのHLA型と適合をした患者さんが見つかりました」
え。。。ここで発生したのは、人生の2択です。
① 自分の夢を叶えるために、ドナー提供をお断りして
ウルトラマン・トライアスロンに出場をすること
② 自分の夢は一度、横に置いて、ドナー提供を受け入れ
骨髄バンクを介して、ドナー提供をする道を選ぶこと
さぁ、あなたなら、どちらを選びますか??
もちろん、私の選択は、、、後者、ドナー提供する道でした。
生きていれば、夢には何度でも挑めます。
でも、私の血液を待つ患者さんはどうでしょうか。
生きて欲しい。生きたいと願う患者さんに希望を届けたい。。
その一心で、コロナ禍の中のドナー提供を選びました。
血のつながりはない、しかし、ご先祖を辿れば、どこかで
マッチングした血液の兄弟・姉妹が、そこに居たことになります。
健康に挑み、健康で在る限り、夢に挑み続けていきます。
【ドナー提供後の未来社会】
いのち輝く未来社会に向けて。
ドナー提供をするためには、100%コロナ感染をしてはいけない。
欲望まみれなおっさんが多い社会で、いかにコロナ感染をせずして
毎日のお仕事をして、トレーニングをして、心身の健康を維持して、
チーム運営も合わせて行うのか。もはや、試練としか呼べない日々。
パフォーマンス低下を覚悟で、自粛をしたり、ドナー提供後については
お医者さん(担当医)の助言により、およそ1ヶ月間の激しい運動禁止。
リハビリテーションは、筋力低下、心肺機能も低下が著しくあって
ほんとに大変でしたが、必死に、必死を重ね、必死を尽くしました。
自分自身が復活せねば、後続してドナー提供する人が減ってしまう、、、
責任感を越えて、使命感のような感覚を持って、未来を拓きました。
この歩みを記録に残し、後世にも伝え広めていくためにも
献血・骨髄バンクを伝え広める魂の講演会、講師活動も始めました。
ドナー提供体験談をいろんなネット媒体にも投稿を始めました。
ドナーの輪(ドナー提供体験談を寄稿)
骨髄バンクを介してドナー提供を行ったことにより
厚生労働大臣から感謝状授与 / アスカツ
ウルトラマンのような希望の光になりたい / U-29.com
KoKoKaRa #25 松井一矢選手にインタビューをしました
そして、今、大阪マラソン・チャリティーランナー挑戦に至ります。
ぜひ、あなたの応援、支援、シェアが、いのちを救うきっかけになります。
大阪マラソン2026、想いを大切に、全力を尽くし、懸命を尽くします。
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