ミャンマーの子どもたちの未来を応援するため、地球市民の会を通じて勉強机などを届けます!

寄附先

認定NPO法人 地球市民の会

SOSIA

支援総額

457,923円

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457,923円

支援者数

48人

残り

終了

このキャンペーンは終了しました

ミャンマーのコーヒー豆が最高の1杯としてTV番組で紹介されました

2022/11/9 22:41

アジア最大級のコーヒー見本市で最高のコーヒーを探すコーヒーマニアさんに密着したTV番組で、ミャンマーコーヒーが最高の1杯に選ばれました!

選ばれたのはミャンマー シャン州ピンラウン地区で収穫され、地元のイースト菌で発酵加工された豆を日本で焙煎した「ピンラウン イースト ファーメンテーション」。ミャンマーコーヒー専門店アウンコーヒーがミャンマーから生豆を輸入・焙煎し、販売しているものです。

SOSIAメンバーも偶然、取材日にコーヒー見本市会場を訪れていました。写真は見本市の「アウンコーヒー」ブースでコーヒーを販売していたオーナーの奥富さんとスタッフさん。ユワンガン、ホーポン、モーゴウ、ピンラウンという、ミャンマー東部の4つの産地から19種の豆を仕入れ、入れ替わりで常時4種類を提供しているそうですが、この日は特別に19種類の豆すべてが販売されていました。

近年、コーヒー豆を発酵させることで奥深い香りをもたらす加工方法が流行し、産地では、さまざまな手法が試されているそうです。見本市会場では、タイのコーヒー実業家が温度管理や発酵菌を各種研究している様子をプレゼンしていました。写真は「海ノ向こうコーヒー」ブースでプレゼンするタイのフアディ・ピッスワンさん。タイ産コーヒーの普及と産地の活性化、環境保護に取り組む社会的起業家です。ちなみに、彼のお父さんの故スリン・ピッスワンさんは、かつて、ミャンマーが台風ナルギス襲来で未曾有の危機に陥ったときに、ASEAN事務局長として近隣国からの人道支援の陣頭指揮をとった方です。

ミャンマーのピンラウン地区は、135以上といわれるミャンマーの少数民族のひとつパオ族の自治区で、地球市民の会の活動地域でもあります。

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少数民族が多い地域は、山深いこともあり、長らく海外から閉ざされてきましたが、このピンラウン地区では、社会的企業BEHIND THE LEAF COFFEEによって、パオ族の方々の暮らし向上と環境保護を両立させながらコーヒー栽培と加工が進められています。このように温度管理をして発酵加工されています。

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アウンコーヒーは、こうしたミャンマーの山深い産地から良質の豆を仕入れ、焙煎・販売しています。ミャンマーつながりということで、以前にSOSIAのイベントにコーヒー資材を提供してくださったことがありました。

コクと苦みが強い他のアジアの豆と比べると、ミャンマーの豆は香りがフルーティで酸味がすっきりとしており、中南米のものに近いといいます。

その中でも、今回選ばれた発酵豆は特に香りがよく、まるでワインのような豊潤で奥深い香りを味わえます。

SOSIAメンバーもこの豆のファンですが、1年のうち限られた期間しか販売されないので、TV放送される前に偶然、買いだめしていました。放送後、オンラインショップでは豆がすべて売り切れてしまっています。

オーナーさんがミャンマーのコーヒー豆を専門に扱うようになったのは、ミャンマーのコーヒー豆の質が高いからとのこと。生産者が丁寧に豆を選別しているため、生豆がとても綺麗といいます。また、産地ごとに気候風土や土壌が大きく異なるため、深く煎っても、豆ごとに味の違いがはっきり出るので、焙煎が楽しいそうです。

ミャンマーのコーヒー豆には、ミャンマーの人々の誠実な人柄と多様な気候風土という、ふたつの魅力がギュッと詰まっているのかもしれません。

*アウンコーヒーの最新情報はTwitterにてご確認下さい

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ミャンマーを舞台にしたSOSIAメンバー作画の絵本「ふくちゃんのぼうけん」にちなんだ豆知識をお届けするシリーズの4回目です。

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ミャンマーよもやまばなし④福を招くお菓子 モロンイェポー

「ふくちゃんのぼうけん」序盤で、迷子になったふくちゃんに、野良犬さんが親切におやつをごちそうしてくれるシーンがあります。

そこで食べているのが、モロンイェポーというミャンマーのお正月のお菓子です。

モ=餅

ロン=丸い

イェ=水・お湯

ポー=浮かぶ

という意味で、文字どおり、お湯に浮かべて(茹でて)作る丸いお餅です。

熱湯に茹でられても崩れない(逆境に負けない)という験担ぎの一品でもあるそうで、たくさん作ってご近所に分ける習慣があるようです。

中にヤシ砂糖を入れて茹であがったら、まわりにココナッツを削ったものをまぶして食べます。

私も支援先の子どもたちと一緒に生地を丸めて作って食べたことがあります。写真はそのときのモロンイェポー。

中にヤシ砂糖ではなく唐辛子を入れたものをいくつか混ぜて、みんなでひとつずつ食べてロシアンルーレット的に楽しんだりもします。

唐辛子入りのを引き当てた人は辛い(からい)思いをしますが、その人には人一倍、福が訪れるとも言われているそうです。

余談ですが、日本でも神社に「厄除だんご」などがが売られていたり、厄年にはそれをたくさん買ってご近所に配る習慣のある地域があります。

縁起物をお裾分けする文化が似ていて面白いなと思いました。


ミャンマーを舞台にしたSOSIAメンバー作画の絵本「ふくちゃんのぼうけん」にちなんだ豆知識をお届けするシリーズの3回目です。

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ミャンマーよもやまばなし③サイカー

サイカーは、ミャンマーの自転車タクシー。日本の人力車みたいなものですが、日本のように観光客向けではなく、地元の人も利用する移動手段です。

筆者が最後にサイカーに乗った2008年頃は、渋滞がひどい場所を通り抜けるために使われていました。今は、道路が整備されると共にサイカーの通行が制限され、利用が減ってはいますが、まだまだ現役の交通手段です。

「ふくちゃんのぼうけん」の物語の中では、ふくちゃんがサイカーの運転席の荷台にこっそり乗り込みます。

英語のside carが語源になっているとおり、自転車のサイドに座席が付いていて運転手さんがぐいぐいペダルをこいでくれます。背中合わせに2人乗れます。料金は現地のタクシーと同様、事前に確認、交渉制です。

人力なのでタイのトゥクトゥクのようにスピードが出すぎることもなく、でも風を感じられるので疾走感はあり、とても快適。

乗りながら周りの景色を眺めるのも楽しいのですが、私は運転手さんがゴリゴリと力いっぱい運転しているときの肩や腕や脚の動きを見るのが好きです。

ミャンマーでは男性もロンジーという腰巻を身に着けている人が多いのですが、スカートのようでペダルをこぐとき邪魔になりそうなのに、うまく裾をさばいて颯爽と運転しているのもまた、たまらなくカッコいいのです。

写真は、2008年のアルバムから、サイカーに乗りながら撮った運転手さん。


日本とミャンマーは歴史的なつながりが色々ありますが、あまり知られていません。今日は、SOSIAメンバーで写真家でもある亀山仁さんのエピソードをご紹介します。

***

2020年3月8日早朝、ミャンマー マンダレー管区のメティラ近郊のウェッレッ村で毎年開催されている慰霊祭に参加しました。

太平洋戦争で19万人が亡くなったミャンマーのかつての激戦地で今でも慰霊祭を続けています。日本軍はインパール作戦などで大敗し防戦一方となっていた1945年3月にウェッレッ村でも日本と英印連合軍と戦闘がありました。

しかし戦力の差は歴然で英印軍は歩兵2000人に重戦車30両、迎え撃つ日本軍第49師団168連隊の第1大隊は歩兵300人と大砲2問と記録されています。しかも敗走を重ね食糧や武器も乏しい日本軍は多くの戦死者を出し敗退、当時の人口150の村は全焼しました。

その戦闘で日本軍の指揮をとっていた中隊長、中村清一さん(2019年99歳で逝去)は帰国し、1975年に遺骨収集団として30年ぶりに村を訪れました。そのときに村の村長さんことエイモンさん(現在90歳)が中村さんに話しかけました。「戦いを木の上から見ていた。私は13歳だった」続けて「あの畑の中を走っていた日本兵もいた」と語り、それは中村さん自身のことでした。

中村さんは定年退職後1990年代半ばから慰霊と遺骨収集に現地に出かけ1998年には村に井戸を寄贈、その後もエイモンさんを日本に招待するなど交流を続けていました。そして2000年に慰霊塔と仏塔を建立し、村人が集まる集会室も建て毎年戦闘のあった3月8日に慰霊祭が行われるようになりました。

私が参加2020年は前年、中村さんが亡くなり、ご遺族の方々が参列するとお聞きし、私も同席させてもらいました。

表紙の写真はその時の慰霊祭の様子です。

昭和から平成にかけての時代はこのような慰霊祭がミャンマーで何ヶ所も行われていたと思います。しかし当事者の高齢化で現地へ行くことができなくなり、中止になっていることは容易に推測できます。そのような中、現在もご遺族の意思と現地とのコーディネートに尽力してくださる中村さんご友人たちが慰霊祭を続け、2021年はコロナと混乱のなか慰霊祭はできませんでしたが、今年(2022年)は人数は以前より少ないものの3月8日に慰霊祭が開催されたのをSNSで拝見しました。

ミャンマーは親日国と言われますが、それは戦後賠償や巨額のODAなどだけではなく、中村さんのような人たちが戦争中に現地に人たちに迷惑をかけたことに対して、さまざまな交流や支援を通して恩返しをつづけたことが「親日国」に貢献していると私は感じました。

こちらの写真は当時エイモンさんが中村さんたちの戦いを見ていたマンゴーの木です。

***

戦争という悲しい記憶をもつ日本とミャンマー。その歴史を平和なものに塗り替えていく小さな交流が続いてきました。ミャンマー子どもの学びを支援する本キャンペーンも、次世代への平和の絆のひとつとなりますように。

11/4 24時まで、地球市民の会さんでシェア祭りを開催中です!こちらのツイートに♡で10円、RTで100円が寄付になります。ぜひ、ご協力ください!

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認定NPO法人

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0952-24-3334

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代表:理事長 山口久臣

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