スタッフ紹介⑤理事長の市山です!
2022/9/14 09:54
■自己紹介お願いします!
市山尚三です。現在は、東京国際映画祭でプログラミング・ディレクターを務め、フィルメックスでは役員として理事長を務めています。
■東京フィルメックスとの出会いや、現在の関わり方について教えてください!
※この場合は、立ち上げの経緯です。
2000年頃、当時所属していたオフィス北野の森昌行社長(当時)と話し合う中で、「東京には大規模なものよりむしろ小さい映画祭が必要」という点で意見が一致し、それまでの自分のアジア映画のネットワークを生かして作品を集めて映画祭をやりましょうと。話し合いを重ねる中スポンサーもついたので、東京フィルメックスを立ち上げました。
■好きな映画・監督とエピソードがあれば教えてください!
かつてのセレクションの担当として、どれにも思い入れがあり、なかなか絞りにくいのですが、2000年の第1回で紹介した作品、監督はいずれも忘れがたいです。アピチャッポン・ウィーラセタクンの「真昼の不思議な物体」のような作品もあれば、香港のウィルソン・イップ(「ジュリエット・イン・ラブ」)、韓国のリュ・スンワン(「ダイ・バッド 死ぬか、もしくは悪になるか」)といった、インディペンデントの作品を撮った監督が、その後母国で王道のメジャー作品でも活躍している姿を見ると、改めて初年度にはとても面白い才能が揃ったラインナップだった、と実感します。
■今回のキャンペーンや、東京フィルメックスの活動に対する期待・応援コメントをお願いします!
東京フィルメックスというオルタナティヴなタイプの映画祭から、今は大規模な東京国際映画祭の作品選定をしていますが、大規模映画祭にはその良さがありますが、別のタイプの映画祭の方がすくい取れたり、むしろ向いている作品はどうしてもあります。カンヌの場合は、監督週間がそうした作品にスポットを当てていると思うので、東京においても、大規模な映画祭だけでなく、フィルメックスのようなオルタナティヴな映画祭が必要です。
スタッフ紹介④本キャンペーン担当の金谷です!
2022/9/13 07:06
■自己紹介お願いします!
金谷重朗(かなや・しげお)です。団体の組織面・マネジメント全般、また併催のタレンツ・トーキョーを担当しています。本キャンペーンのほか、昨年ハラスメントの問題が身近にも起きたので、昨年後半からはコンプライアンス、ガバナンスの学びを深め、整備等を進めています。
■東京フィルメックスとの出会いや、現在の関わり方について教えてください!
東京フィルメックスとの出会いは、市山尚三前プログラム・ディレクターとの出会いでした。1990年代後半、スペインのサン・セバスティアン映画祭の日本担当で、成瀬巳喜男監督特集のコーディネーションを務めていた際に、同特集を監修された山根貞男さん、蓮實重彦さん、当時資料整理のアルバイトをしていた国立映画アーカイブの岡島尚志館長のご紹介でお会いしました。その後、阪本順治監督の「顔」の同映画祭での上映の交渉をしていた際に、松竹からオフィス北野に移られた市山さんから新しく映画祭をはじめるとお聞きし、手を挙げました。発足以来、22年関わっています。
■好きな映画・監督とエピソードがあれば教えてください!
2000年、第1回のフィルメックスはクリスマスイブまでの会期でした、終了後の年末にジャ・ジャンクー監督の「プラットホーム」を見直して、衝撃を受けて震えました。2002年の第3回アピチャッポン・ウィーラセタクン監督「ブリスフリー・ユアーズ」は上演プリントの輸入時に税関で止められたことがありました。異議申立てをしたところ、映画祭開幕の前の週に許可が下り、無事に上映出来たので、作品そのものは元より、印象深い1本です(最終日、同作は最優秀賞を受賞します)。私はスペイン語を学んでいたので、2007年上映の「ハンモック」というパラグアイ映画のQ&Aなどでパス・エンシナ監督とご一緒できたことも記憶に刻まれています(ちなみにこの映画で登場人物の会話はスペイン語発声ではなく、先住民族の話すグアラニ語で交わされています)。直近では、昨年の1本も印象に残っています。前日までタイトルを「特別上映A」と伏せていたのを、「時代革命」と発表するとSNSで話題となり、大勢のお客さんが詰めかけられました。SNSの投稿に目を通すと、中には上映時間から推測して「時代革命」に違いない、と先読みし、勘でチケットをお求めになられた方もいらっしゃり、この作品を届ける重要性を再認識させられました。
■今回のキャンペーンや、東京フィルメックスの活動に対する期待・応援コメントをお願いします!
映画以外のエピソードになりますが、2015年にプサン映画祭執行委員長のイ・ヨングァンさんが審査員としてフィルメックスに来場されました。プサン映画祭は当時、韓国国内で政治的圧力に晒されていました。そんな大変な時期に、数週間前に映画祭を終えたばかりのイ・ヨングァン委員長を、スタッフのエレンさん、そして尊敬するキム・ジソクさんと揃ってフィルメックスにお迎えし、会期半ばに開かれたささやかなパーティーの席でプサン映画祭の20周年をお祝い出来たことも忘れられません。
キム・ジソクさんはその1年半後に惜しくも亡くなられたこともあり、その場に居合わせたアジアの映画人皆がプサンの皆さんに感謝を込めた祝福の拍手を送っていた光景が目に焼き付いています。
困難があっても、映画のため、映画人のため、映画祭を続けるために立ち上がる気概を、隣国韓国の諸先輩方から教わった気がします。その後、フィルメックスも波乱万丈の道のりを歩んでおりますが、そんな時にはプサンの諸先輩方の逞しい姿を思い出したりして、今回のキャンペーンにも取り組んでいます。
こうしたフィルメックスという「場」に共感いただける皆様からのご支援を心よりお願い申し上げます。
※こうした機会ですので繰り返しますと、当会は認定NPO法人ですので、ご支援いただくご寄付は、年明けに当会から届く領収書を添付して確定申告をすると、寄付額の40%が還付されます。(尚、対価と判定されるため、カタログの代金は寄付額から控除されます)
スタッフ紹介③プログラム・ディレクター神谷です!
2022/9/12 08:52
■自己紹介お願いします!
神谷直希と申します。一児の父です。映画以外の主な趣味はサッカー観戦と音楽鑑賞で、時々ですが水泳もしています。高校までは名古屋にいたのですが、その時代にアルセーヌ・ヴェンゲルのサッカーに魅了され、そのままアーセナル・ファンになり、現在に至っています。音楽に関しては、できるだけ新しいものも聴いて、耳をアップデートしようと試みています。
■東京フィルメックスとの出会いや、現在の関わり方について教えてください!
東京フィルメックスでは既に20年ほど働いていて、2019年に一度は離職したのですが、昨年の春にプログラム・ディレクターとして復帰しました。映画祭における上映作品を選び、プログラムを組んで、上映に至るまでそれらの作品と並走するのが主な仕事です。結果的に、年間に数百本単位の映画を観ることになります。
■今回のキャンペーンや、東京フィルメックスの活動に対する期待・応援コメントをお願いします!
映画は商品でもあれば文化でもあります。その両極の間で、色んな顔を見せるものだと思っています。そして、映画祭というのは、商品としての映画にはいったん目を瞑って、文化としての価値に焦点を当てる場です。映画に限らず、あらゆる芸術文化にはそういった場が必要だと思いますし、そういった場をきちんと機能させる必要があると思います。それが文化の豊かさや多様性に繋がるからです。東京フィルメックスが、そのような場所として、これからもきちんと機能していくことを願っています。
スタッフ紹介②作品・運営を担当している事務局の久米です!
2022/9/11 09:17
■自己紹介お願いします!
2020年より東京フィルメックスで主に作品・運営を担当している事務局の久米修人です。
■東京フィルメックスとの出会いや、現在の関わり方について教えてください!
最初にフィルメックスに参加したのは2017年、当時所属していた東京学生映画祭とフィルメックスの連携企画である「学生審査員賞」という賞の運営のアシスタントとしてでした。3人の学生審査員と会場で多くの鑑賞し、縦書きの日本語字幕に最初は戸惑いながらも、気づけばあっという間に9日間の会期は過ぎていきました。ワン・ビン監督『ファンさん』やヴィヴィアン・チュウ監督『天使は白をまとう』、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督『サムイの歌』や特集上映のジャック・ターナー監督『私はゾンビと歩いた!』は今でも自分の中に焼き付いており、映画祭会期中に集中的に多彩な作品に触れ、自分の基礎を築いた映画祭体験となりました。何より、3人の学生審査員が鑑賞したコンペティション部門9作品を1本ずつ、4時間以上かけて話し合った審査会の濃密な時間からは多くの気づきを得られました。シュー・ビン監督『とんぼの眼』、カミラ・アンディニ監督『見えるもの、見えざるもの』、そして学生審査員賞を授賞した五十嵐耕平&ダミアン・マニヴェル監督『泳ぎすぎた夜』など、それぞれの作品を受け止めるのに全員でヘトヘトになりながら、とんでもなく楽しみました。
翌年の2018年にはインターンとして事務局を手伝わせてもらいながら、映画祭期間中は学生審査員を務めさせて頂きました。授賞式前の記者向けの授賞作品発表の際に、学生審査員賞授賞のビー・ガン監督『ロングデイズ ・ジャーニー この夜の涯てへ』に対し、国際審査員の審査委員長だったウェイン・ワン監督に「学生審査員が授賞した作品だけはちょっと違うんじゃないかと思った」と言われたことはいまだに脳裏から離れず、その後作品について国際審査員らと一緒に話し合わせてもらえたことも含めて、(当時は納得いかない点も多かったですが)今となれば本当に貴重な経験でした。
その後、2019年に短期スタッフを経て、2020年からは事務局スタッフとして携わっています。ここ数年は組織としても映画祭運営も毎年、変更になっているポイントが多々あり、観客の皆様やボランティアスタッフの皆様に寛容にご理解頂いていること、大変ありがたく思っています。
ご存知の通りプログラミングディレクターにも変更があり、2020年に市山さんと、2021年からは神谷さんと、お二人とそれぞれとのセレクションに携わらせてもらいました。共通する部分も、異なる部分もありますが、良い作品を見つけることにこだわることは間違いありません。お二人に限らず、映画祭を通じて繋がれた国内外の先輩方や友人たちの背中を追いかけているこの数年の毎日は幸運で、何にも代え難い経験です。
■好きな映画・監督とエピソードがあれば教えてください!
18、19歳くらいまでジャ・ジャンクー監督『プラットホーム』が自分の中で大きな位置を占めていた作品だったので、あと20年早く生まれていれば第1回東京フィルメックスの日本プレミアに立ち会えたのかな、と考えたりします。他には、映画を見て涙することは滅多にないのですが、第19回東京フィルメックスで上映されたリティ・パン監督『名前のない墓』は色々と考えながら見ていたにも関わらず、不意に涙が落ち、自分の目と頬にびっくりしたのが印象に残っています
■今回のキャンペーンや、東京フィルメックスの活動に対する期待・応援コメントをお願いします!
この数年、フィルメックスの上映作品が友人や後輩をはじめ、自分の周囲の来場してくれた若い観客に影響や成長のきっかけを与えられることを毎年感じてきました。私自身もフィルメックスの上映作品から映画について、世界について、多くを学びました。
映画祭はどう計算しても営利事業ではなく、外部の支援がなければ成り立たないもので、映画産業自体も現時点では成長産業ではありません。ですが、次の世代にも、映画を通じて日本の日常では触れられない価値観や文化に触れ、世界と映画の広さを提供できる場をできる限り残していけたら、と願っています。
第23回東京フィルメックスで皆様のご来場をお待ちしています。