認定NPO法人ぽっかぽかランナーズ
認定NPO法人 ぽっかぽかランナーズ
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認定NPO法人 ぽっかぽかランナーズ
日頃から障害のある人たちの運動を指導&サポートしている長玉こと長田耕治が、賛同する“ぽっかぽかランナーズ”の皆さんが抱いた夢を叶えるため、ゴールを目指して浪速路を走ります!そのトレーニングは、自身の“皆生トライアスロン”完走復活へ、そしていつかは、障害のある次男とのジョギング&サイクリングへと繋がって行きます。みなさんもご一緒に、夢を追いかけませんか…?
これをお読みの皆様
長玉(ながたま)こと長田耕治です。今回のチャリティーランナーとしての、大阪マラソンに対する思いなどをご説明いたします…
1963年生まれ。小学時代は学校でNO4位の肥満児。中学時代にTV観戦でラグビーにハマりながら、プレーする環境に恵まれず、独学でラグビーを撮るスポーツカメラマンに。
たまたま始めた手話とコラボする形で、聴こえない人のラグビーチームの発起人となり、それがきっかけで福祉業界に転向。障害ある人たちのケアを始めるが、後厄(43歳)に不摂生と暴飲食でぶっ倒れ、それを機に健康のありがたみに目覚めトレーニングを開始。フルマラソンは3:59'51"。皆生トライアスロン4度完走。奈良マラソンではブラインドランナーのガイドでフルマラソン完走。
「生まれる我が子は、障害ある人を助けるように育てよう!」と思っていたら、次男が助けられる側に生まれ、子育ての中で“知的障害者のガイドランナー”の重要性を痛感。そんな時“ぽっかぽかランナーズ”と出会い、大いに賛同。“ぽっかぽかマラソン大会”では、オフィシャルフォトグラファーと賑やかし盛り上げランナーを兼任。障害ある人の運動をサポートするため初級障害者スポーツ指導員資格取得。また、地元小学校の陸上競技クラブのコーチなども兼任。いつかは次男とも一緒に走りたいなあ…
と思う長玉(ながたま)こと長田耕治が今回、大阪マラソンのゴールを目指します
私は来年(2023年)還暦(満60歳)を迎えます。
後厄から始めたマラソン挑戦で、50歳になった翌日、フルマラソンの自己最高記録3時間59分51秒(木津川マラソン・グロスタイム)を出しました。いわゆる“サブフォー”です。不摂生と暴飲暴食でぶっ倒れ、健康の有難みに目覚め、43歳でそれなりの強度ある運動を始めて7年でようやく到達した、市民ランナーとしての、一つの金字塔でした。
因みにネット(大会公式記録)では“4:00'10”。本当のサブフォーとはいえなかったのですが “いやいや、そんなもんすぐ突破出来るよ!まだ15分は縮められる!”と思ってました。
日本で最も歴史ある皆生(かいけ)トライアスロン大会にも、チャレンジ3回目にして14時間25分15秒で完走をはたしました。
ところがぁ…それから間も無くケイ椎椎間板ヘルニアで入院&手術。その2年後には大腸がんが見つかり、これまた手術。幸い早期に対処出来たので、運動出来る生活には戻れましたが、若い時に基礎的な運動素養を身に付けていないため、トレーニングを長期休む時期ができた結果、運動能力は徐々に落ちてきました。
市民ランナーの一つの速度の目安である時速10km=1キロ6分=は困難になり、2時間走っても15km位しか進めなくなってきました。
大腸がんの影響で2年お休みし、さらにコロナ禍で2年のブランクの後、今夏ようやく5年ぶりに出場した第40回皆生トライアスロンは、コロナの影響でいつもより短縮された制限12時間半となっていて、それなら完走は出来るだろう…と挑んだのですがぁ…なんとまあ、バイクパートでほとんどリタイアするくらいまで調子を落とし、奇跡的に復調したものの、ランの折返し15km地点で時間オーバーとなってしまいました…
ラン折返しの関門時間を10分程間違って、余力を残したままもう締め切られたことを知り、何だか不完全燃焼のうちにレースを終わることになりました。
走る前は“(コロナ都合で短くなった)この距離で完走出来なかったら、もう皆生は引退だな!”なんて軽く思ってましたが、本当にそうなってしまいました…
もうこのまま、ロングのトライアスロンは引退して、健康のためと称してノ〜ンビリやるか、もう一度だけゲロ吐きながらチャレンジをするか、選択を迫られました。
来年は還暦。“還暦からの12年を、人生最高の時期にする”と思っている私として、皆生トライアスロンに挑むか挑まないかで、大きな違いが生じるのです。
来年、しんどいトレーニングをやっても、完走出来る保証もないなら、皆生はいい思い出にして、楽に過ごすか…とも思います。
でも、納得行く形で終わっていない今、ダメ元でも、もう一度チャレンジしてみたい気持ちもあります。もちろんそれは、来年度の出場権を得られなければ出来ないことで、そのために今冬のマラソンシーズンには、ちゃんと出場してそれなりの結果を残さないといけないのです。
ただ、それを実現するにはかなりの熱量をもって挑まないとダメなわけで…
さあ、やるか、やらないか、どうしよう…
と思っていところに、今回、ぽっかぽかランナーズ(以下・ぽかラン)さんより、大阪マラソンチャリティランナーのオファーがやってきたのです
『私が大阪マラソンを走ることによって、ぽかランメンバーがホノルルを走る後押しになる…』って、そりゃ素敵な話しです…
そもそも、ぽかランは、きよくんが少しでも長く元気にいられるように…と出来たラン集団です。
現在、きよくんは足漕ぎ車いすで頑張っていますが、初めてきよくんとあった頃は、まだ自分の脚で立って(両手をサポーターに繋がれた状態でしたが)自分で走っておられました!
身体に障害のある人は、日々、刻々とその状況が進んでしまうことがあります。
私がこれまでの人生で、最も大きな影響を受けた、障害のある人、
オーストラリアの元・車いすマラソンチャンピオン マイク・レッチさん
プロのオートバイライダーで、レース中の事故により、車いす生活となられましたが、何とその後、飛行機操縦の免許を取り、車いすマラソンにチャレンジして、大分車いすマラソン等にも多数参加され勝ち抜き、シドニーパラには代表選手となった…はすでしたが、残念、大会直前にメディカル的な問題から、競技を断念せざるを得なくなられ…65歳で旅立たれました…
最高に明るく、物凄い前向きで、特殊装置の付いたクルマを手だけで操り、メルボルンの街をまるでメルボルンGPのようにぶっ飛ばしてくれたマイクさん…後半の人生を、あっという間に駆け抜けてしまわれました。もっといろんなことやりたかっただろうなぁ…
だから、障害のある人には、元気のあるうちにいろいろチャレンジしてほしいんです…
私がチャリティランナーとしてエントリーすることによって、きよくんたち、そしてご家族さまたちが、ホノルルマラソンにチャレンジし、感動を得る手助けになる…と考えると、
私自身も今シーズン頑張ってトレーニングし、走力を蘇らせ、大阪マラソンを快走し、それを来年海の日に行われる 皆生トライアスロンへ繋ぎ、ゴールテープを快心の笑顔で切りたくなってきました
そして、指導に関わっている、小学生陸上クラブや障害のある子どもたちのケアの場面でも、その力を活かし一人でも多く、その困った状況から脱せるお手伝いをして行きたいと思います。
そんなきよくんたち、そして私のチャレンジを、皆様のチャリティーで応援してやってくださいませんでしょうか…いかがでしょう?是非ともお願いいたします〜m(_ _)m
認定NPO法人ぽっかぽかランナーズ
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