「面倒くさい」という共通の壁
2025/10/14 12:17
4キロだけやけど、走ってきた。
写真はその時のもので、走りながらなのでボケてしまった。
正直、走るのがとても苦手だ。
だけど、大阪マラソンに向けてトレーニングを積まなければならない。
でも、それ以外にトレーニングする目的がひとつふえました。
受験生のわが子に起きていること
双子たちは中学3年で高校受験を控えている。
双子のうちひとりがスランプです。その子は、コツコツするのが得意な子で、締め切りもきっちり守るし、期待以上の仕上がりを整えて出すような子でした。
なのに、夏休みの課題の提出をしなかったあたりから、ガラガラとやる気をなくしています。きっと、自分との信頼関係が崩れてしまったからだろうと、母の私は見ています。
話をきいてみたり、一緒に環境を整えたりしてみましたが、すぐに「めんどくさい」が勝り、どうしようもできない状況に陥っています。
彼にとっての「めんどくさい」は、単なる怠けではなく、「完璧にできないなら、やらないほうがマシ」という、自己嫌悪からくる防衛反応かもしれません。
本人もつらそうです。なんともコントロールできない自分に、嫌気がさしているのは見てとれます。だからといって、行きたい高校がある以上、そうも言っていられないです。
「おわりだ」という言葉の重さ
私は、「見栄で高校を選ぶならやめたほうがいい」と伝えました。
「このままだと、成績は落ちる一方だろう。これまでの成績にしがみついて、志望校をそのままにしておくのは違うと思うとおもう。やらないのであれば、やらないなりの方向転換をしなければならないよ」と。
すると、「行きたい高校へいけなければおわりだ」と言う。
そんなこと、あるはずないのにね。
そこから、想像できると思いますが、親子喧嘩です。
「なぜ自分を裏切るようなことをするんだ」と。本人はふてくされるし、わたしもイライラしてしまいました。
わたしも彼と同じだった
でも、でわたしがイライラするのは違うんですよね。
彼が楽しいと思える時間を過ごしてほしいだけなのに。
いまやらないことで何か願っていなかった結果になったとしても、それは彼が味わう人生であって、わたしががみがみ言って手をひっぱり、その場所へ到達させることほど意味のないものだと、常々わたしは思っているのに、なぜかちぐはぐな行動をとってしまっていました。
かれは、「やらなければならないのはわかっているが、面倒になって遊んでしまう」と言っていました。
それって、だれもそういう面ってあるよね。わたしもあります。
2月22日に走らないといけないことが分かっている大阪マラソン。9月は腰を痛めて、養生するため走ってきませんでした。仕事も忙しかったし、出張も多いし、それどころじゃなかった。
というのは、すべて言い訳です。
そう。わたしも彼といっしょ。めんどくさいし、しんどいから、避けてきたんです。
わたし自身の宣言
人に言う前に、わたし自身が私自身と約束したことをやらなくてはならないよね。
ということで、10月8日から雨の日と出張のある日を除いて、走ることをここに宣言します。距離は問いません。まずは走るということ。スニーカーに履き替え、走ることをします。
双子の受験とわたしのランニング。応援してください。

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