大阪マラソンを通じてミャンマーのことを率直に伝えたい!

寄附先

認定NPO法人 ブリッジ エーシア ジャパン

新石 正治 Araishi Shoji

支援総額

81,657円

支援総額

81,657円

支援者数

19人

残り

終了

このキャンペーンは終了しました

【70%突破ありがとう】「ミャンマーの活動でのセンシティブな話」

2022/10/20 20:32

こんにちは。ブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)事務局長の新石です。

このたびは新石正治のチャレンジにご支援をいただき誠にありがとうございます。なんと70%を突破しました。ポッドキャスト準備します。お待ちください。いよいよTik tokも見えてきました。引き続き、あかるく情報発信がんばります。

さて、合計3,000円の寄付を達成したら「これまでに書いたことがないミャンマーの活動でのセンシティブな話を書きます」というお約束でした。

さっそく書かせていただきます。長いので覚悟してください。できるだけ分かりやすく書いたつもりですが、あえてわかりにくく書いているところもあります。お察しください。

パッと全体を確認したい方は見出しをみていただき、お好きな部分をお読みください。

以下が目次です。

ゴニョゴニョ言ってるパート(その1)

ミャンマーにおけるNGOの現在を率直に語るパート

活動許可がおりない状況を語るパート

治安悪化を語ると思いきや、ミャンマーの基礎情報を伝えるパート

ゴニョゴニョ言ってるパート(その2)

治安悪化についてまとめるパート

レピュテーション・リスクとは何かを解説するパート

ゴニョゴニョ言ってるパート(その3)

90年代にミャンマーで活動を開始したときの話をするパート

ゴニョゴニョ言ってるパート(その4)

情熱と責任感はどこからくるのかを考えるパート

支援者の方たちの存在がわたしたちを社会的存在(一人前)にする

まとめと感謝

さいごに

でもホントはハシからぜんぶ読んでほしい! そんで分かりにくいところがあったら、あとでおしえてください。Zoomでお話しします。


ぜひお手すきの時間にちょっとずつお読みいただけるとうれしいです。


ゴニョゴニョ言ってるパート(その1)

ミャンマーの人々の現在を直接語ることは難しいです。「ミャンマーの人々」とはそもそも誰でしょうか。分断が進んでいます。どんな言葉を使えばいいのか。誰のために、何を訴えるために、その言葉は使われているのでしょうか。いちいち立ち止まらないと、何も言えなくなってしまっています。息苦しい状況です。大げさすぎるかもしれません。考えすぎな気もします。考えてもしかたないことは考えないほうが懸命――それは広く知られた専門的な知見ではなく、誰もが納得する人生の教訓です。ましてやわたしはジャーナリストでも学者でもない。NGO職員です。分析よりも行動に重きをおく。全体的な状況の理解よりも具体的な状況を少しでも前進させることに価値をおく。NGO職員に限らず、そもそもわたしたち無名の民草はそのような存在ではなかったでしょうか。いずれにせよ、混迷を深めるミャンマー情勢については文章とは違うかたちで(わたしなりに)お伝えしようと考えています。お待ちください。


ミャンマーにおけるNGOの現在を率直に語るパート

語りやすいところから書きます。それはミャンマーで活動するNGOの状況です。

ミャンマーで活動する国際機関またはNGOで「万事順調!オールオッケー!」な団体は一つもないといっても過言ではありません。濃淡はありますが、すべての組織が同じような苦境に立たされています。整理すると以下の3つです。

(1)活動許可がおりない

(2)治安悪化

(3)レピュテーション・リスク


活動許可がおりない状況を語るパート

ひとつずつ説明します。まず(1)です。

このピンチを理解するために重要なのは「基本的にわたしたちは外国人の団体だ」という認識です。

わたしたちは「よそ者」です。よそ者が活動するには許可が必要です。反対の立場で考えてみれば、かんたんに理解できます。想像してください。日本の田舎にとつぜん外国人のグループがやってきて、ガンガン道路を作り始めたり学校を建て始めたりしたら、それは怖いことです。まるで侵略者です。そのため国際機関やNGOはかならずその国の行政機関としかるべき覚書(おぼえがき:合意書、契約書といったもの)を結んで活動しています。

ミャンマーではとくにこの「覚書」が重要です。それに基づいてミャンマー国内での法的な立場が保証され、日本人の渡航ビザも出るからです。

現在、ほとんどの組織および団体がこの活動許可の取得、覚書の締結で苦労しています。昨年2月のクーデター以降、手続きがほぼ停止してしまっているためです。ミャンマー国内の緊張が高まり、「よそ者」と手を組むプロジェクトについて国内でチェックが入っています。「いろいろ混乱しているし、いったん整理しよう」ということだと思います。わかります。

しかし、そうこうしている内に、多くの団体や組織の「覚書」の有効期限が切れていきます。「切れたなら即出ていけ」ということにはなりません。この一旦停止は、別に「すべてのNGOの排除すること」が目的じゃないからです。とはいえ、これまで通りの活動がしにくくなるのは事実です。じゃあどうしたらいいのか??

そこは国際機関やNGOでそれぞれ対処の仕方が異なります。各団体が工夫しながら、現地の個別的な状況に対応するかたちで、できることを続けている現状です。なにを隠そう、我々もそうした団体のひとつです。

いったん整理します。

現在ミャンマーで活動している国際機関やNGOは、存在の根拠となるような、わかりやすい後ろ盾がない状況で、非常に不安定な立場にあります。それでも何とかこれまで通りの活動を継続しようと、しぶとく踏ん張っている。ほとんどノックアウト状態だけれども、よく見ると、ぎりぎりファイティングポーズを崩していない。それが多くの団体の実情だと思います。我々もそうです。


治安悪化を語ると思いきや、ミャンマーの基礎情報を伝えるパート

つづいて、(2)治安悪化です。

これも背景を理解していただくために、すこし遠回りして説明します。


そもそもなぜミャンマーはアジアの最貧国のひとつなのでしょうか??


下記の地図をご覧ください。

国境を接している国をみてみましょう。バングラディッシュ、インド、中国、タイ、ラオスの5つです。みなさん、このうちインド、中国、タイのイメージはいかがでしょうか。経済的に発展しているイメージですよね。とくに中国、インドは大国です。しかもミャンマーは海にも面しており、じつは天然資源も豊富です(石油や天然ガスがとれるし、宝石も有名)。


「発展しないほうがおかしい!」と思いませんでしょうか??


事実、民主政権に移行した2011年ごろミャンマーは経済的に注目され「アジア最後のフロンティア」といわれた時期もありました。

では、なぜ発展しにくいのか? わたしは大きく3つほどポイントがあると思っています。そして、その3つはミャンマーという国を理解する上で重要な点です。

1. 多民族国家

2. 多様な気候風土

3. 植民地時代の歴史

いちいち解説しませんが(しないのかい!)、上記3つの状況を一言でまとめるとこうです。「ひとつにまとまるのが難しい」――これに尽きます。

ある意味では身も蓋もない、どんな国でも社会でも共通している部分です。そして「ひとつにまとまる」とは具体的にどういう状態か、考えはじめるとまた難しいところでもあります。わたしなりにいえば「決定的なモメ事が少ない状態」とでもいいますか、もしくは「モメ事が決定的なものになってない状態」といいますか。……同じこと書いてますね。とにかく先へ進みます。

なかでも多民族国家であるという認識は重要です。ミャンマーという国は民族が135あります。さらに民族として認められていないグループも存在し、それらを合わせると135以上になります(きょうはこの話はしません)。

みなさん、どうでしょうか。「あ、ややこしい」とすぐに想像できると思います。現に少数民族勢力との紛争が絶えない。これがミャンマーの歴史であり、現在でもあります。さらに、去年2月のクーデターによってひっくり返された側の民主派の人々による武装闘争もはじまっています。ミャンマー各地で紛争が起こっており、終息する状況が見えません。混乱が拡大し、混迷はさらに深まっています。


ゴニョゴニョ言ってるパート(その2)

一言だけ付け加えます。なぜ民族の垣根をこえて一つにまとまることが難しいのか。やはり植民地時代の負の歴史の影響が大きいのではと思います。いわゆる分断統治です。少数派に多数派を支配させて国民同士の分断を煽る。仲を悪くさせる。植民地時代の歴史でいえば、日本も無関係ではありません。わたしたちは彼の国でかつてどのような存在だったのでしょうか。いまや忘却の彼方です。しかしビルマ独立を支援したのは日本です。そしてその後ビルマの人々から追い出されたのも日本です。なにがあったのでしょうか。国の歴史を考えればわたしたち日本国民はミャンマーと深い縁があります。歴史のお勉強は興味が尽きないし、これ以上はわたしの手に余ります。わたしは学校の先生じゃありません。だけど活動を進めていくうえで、参照したいと思っている歴史のエピソードはいくつか持っています。現実が多様で複雑なように、歴史も多様で豊かです。そんな話もいつかどこかでしたいと思います(いまはこの記事を早く終わらせなければと思っています)。

閑話休題。


治安悪化についてまとめるパート

いったん整理して、さらに続けます。

とにかく、治安が悪化している。紛争が収まらない。それが言いたかったのでした(わかりやすい!)

(1)とつなげると、こういうことです。たとえ活動許可が得られたとしても、「覚書」を結べたとしても、地域によっては活動が禁止になってしまいます。そもそも戦闘状態が止まないと(1)の話までいかないのです。

なにを隠そう(2回目)、わたしたちが活動するラカイン州北部も先月中旬に州政府から通知があり、治安悪化を理由に国連機関およびNGOの活動が一切禁止となりました。

だからといって、わたしたちは撤退しません。我々も含めて多くの団体は残り続け、支援が必要な人に支援を届けることが難しい現状に歯がゆい思いを抱えながらも、活動再開の機会を伺っています。


レピュテーション・リスクとは何かを解説するパート

さて、NGOの状況を語るさいごの部分です。

急にカタカナが出てきました。日本語に訳すと「世間的な評価や評判が下がってしまうリスク」です。ミャンマーに関わろうとする人たちや組織は、現在そのようなリスクを抱えています。ミャンマーに居残り続けて活動することが、政変後の国軍支配の状況を肯定しているように見られる可能性があるからです。

露骨な言い方をすれば、「おまえは現政権を利する気なのか、そうじゃないのか、いまここではっきりいえ!」という政治的分断の空気にどのように向き合うか、という問題です。ちなみにこの場合、利する気がないなら今すぐミャンマーを出ていけということになり、残りつづける気(利する気)ならば社会的な制裁や攻撃を加えられても文句をいうなということになります。むちゃくちゃです。しかし、得てして苛烈な政治状況とはそういうものかもしれません。

大きな組織であればあるほど、レピュテーション・リスクをおそれてミャンマーから撤退している傾向にあります。ですが、国際機関や国連機関はちがいます。彼らはこういうときだからこそ、居残り続ける重要さをわかっています。各国の大使館とかもそうですね。

では、民間の国際協力団体=NGOはどうか。これはそれぞれの団体がセンシティブな判断を求められています。

BAJはどうか。先ほどもチラっと書きましたが撤退しません。ずっとやります。ここでひとつ昔話をさせてください。そもそもどうしてミャンマーで活動しているのか、その発端の話です。


ゴニョゴニョ言ってるパート(その3)

「また脇道の話かよ!」とお思いの方、ご辛抱ください。センシティブな話を考えるためには、センシティブになる必要があります。「センシティブになる」をいいかえれば「個別具体的な状況に向き合う覚悟を持つ」ということです。BAJという団体の個別の事情に向き合ってください。そこから見えてくる風景があります。ひとりの人間に向き合うように理屈ではなく感情を動かしてわたしたちの現場(フィールド)に飛び込んでくれたらと願っています。もちろんご無理のない範囲で。…


90年代にミャンマーで活動を開始したときの話をするパート

ミャンマーで活動するきっかけはそもそも何だったか。25年前にさかのぼります。一言でいえば「国連機関に依頼されたから」です。当時(も)、難民が大量に発生したラカイン州北部にて、帰還民の支援をおこなっていたUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から誘われたのが、直接のきっかけです。

詳しくは、前事務局長でわたしの亡父が書いた『アジアに架ける橋』(下記リンク)に詳しいですが、そのなかで、当時の葛藤が描かれています。

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90年代、ミャンマーは現役バリバリの軍事政権でした。活動をすすめるにあたっては、やはり現在と似たようなレピュテーション・リスクがありました。UNHCRはBAJ以外の団体にも声をかけていたそうですが、軍事政権を支援しているように映ってしまうリスクを恐れて、ほとんどの団体は手を挙げなかったと聞いています。一方、わたしたちは立ち上がったばかりの頃で、失うものなどありませんでした。むしろ、現場を見ないうちから断るなんてNGOとしてどうなのかと息巻いていました。軽やかで熱いノリがあった時代です。

そうして、現地に赴いた結果、だれかがやらないといけない場所だとはっきりわかりました。だったら、わたしたちがやろうじゃないかと結論しました。

それでも、現地で活動をはじめるにあたっては、さまざまな声を聞かなければいけないと当時の職員たちは思いました。日本国内で活動する民主運動グループを訪ね「わたしたちがミャンマーで支援活動することをどう思うか」と直接聞きに行きました。

すごい勇気だと思います。いま、ここまでの人間力がわたしにあるだろうかと自問してしまいます。

直接対面したグループの方たちは「ぜひやってください」と背中を押してくれたそうです。

「それは我々にはできないことだから」

「あなたたちにしかできないことをしてください」


ゴニョゴニョ言ってるパート(その4)

現在、多くのNGOがとる方法は「ロープロファイル」です。「目立たずやる」という意味です。ミャンマー国内においても、日本国内においても、目立たずやる。淡々と支援が必要な人たちへ必要な支援を届ける。政変直後の緊張した空気のなかでは、それは唯一の方法だったかもしれません。そして、いまもそうした姿勢は正解でありつづけています。我々もそうです。

しかし、それは片面の正解であって、もう片面では正解ではないのではないか。そう思うようになりました。


情熱と責任感はどこからくるのかを考えるパート

わたしたちは現地で、その地域の人たちのために、なにかしら良い活動をすること、それを至上目的としている組織です。現地の方たちから感謝されることが無類の喜びです。でも、それはもしかしたら、組織ではなくて、個人でもできることです。ロープロファイルは個人の活動にこそ、よく適合するでしょう。

結論をいいます。わたしはロープロファイルでつづけても、いくら現地の人々に喜ばれたとしても、それは持続可能ではない(長続きしない)と思っています。ふしぎなことですが、地域住民からいくら感謝されても情熱はつづかない。責任感はいずれしぼんでいく。そう思っています。なぜなら人間は弱いからです。また、個人の寿命は限られているからです。

そもそも、わたしたちNGOが組織であることの意味はなんでしょうか。それはあるとき抱いた「思い」や「情熱」がある程度長期間、挫折しないための仕組みなのではないでしょうか。

よくNPOやNGOの人たちがいいます。「支援者の方たち、ボランティアの方たち、応援してくれる友人、知人、家族、そういう人たちがいるから活動をつづけられる」と。

その内容は大きく2つあると思っています。しかし、ほとんどの人は2つめに気づいていません。もしかしたらNGO職員自身も自覚していません。

1つは、人的支援、財的支援。これはイメージしやすいです。そしてとても重要でもあります。

2つめは言い方が難しいのですが、それは「支援者の方たちはNGOに社会性や公共性を与えている」ということです。なに言ってんだ?と思われるかもしれません。ちょっとまってください。


支援者の方たちの存在がわたしたちを社会的存在(一人前)にする

わかりやすく言いかえます。目立たず勝手にやっていることに「応援するよ!」と第三者の人々から支援してもらえることで「ひとりじゃない、しっかりしなきゃ!」という自覚が生まれます。それが社会性であり公共性ということです。つまり責任感が生まれます。それだけではありません。「もっと考えなきゃ!」と知恵も絞るようになります。いいことだらけです!

NGOの活動が持続可能になるためには、現地の人たちからの声だけでは実は足りない。そして、じぶんたけの使命感や満足感だけでも続かない。第三者の立場のみなさんのような存在が、弱いわたしたちを励ましつづけ、「現地の人々のための活動をもっとよくしよう」「もっと続けていこう」という情熱を、閉じた願いではなく、さまざまな人たちに開かれた願いにしてくれます。そして、それはずっとつづいていくのです。


まとめと感謝

あらためて、ご寄付をいただいたみなさんに感謝申し上げます。わたしが、わたしたちが、この社会に存在していく意味を与えてくださっているのは、どんな状況でもへこたれない責任感を芽生えさせてくれているのは、挫けそうな情熱に再び燃料を投入してくれるのは、みなさん一人ひとりの存在です。

もしかして、話が逸れたのかもしれません。――こんなことを書くつもりはなかったのですが、なぜかこうなってしまいました。しかし、これもたいせつな事実です。

BAJがミャンマーで活動を続けていくには、BAJがミャンマーにとって必要な存在であるという自負だけではどうにもなりません。このような困難な状況だからこそ、みなさんの声が、支援が、わたしたちに自信を与え、ぜったいにやり続けるんだという気持ちを奮い起こさせてくれます。「いやそんな重く受けとめるなよ~」と引いている方もいらっしゃるかもしれません。でも辛いときに応援されるとすごく嬉しいってそれはみんなそうじゃないですか!!(居直り)。

「センシティブ」という語を広く「感覚」と解釈すれば、ここに書いたことはまさにわたしの実感することで、それを今までこんなふうに言語化したことはありませんでした。ふだんは表面的な御礼の言葉しかいえないのですが、こういう場だからこそ、思う存分書けた気がします。

さいごに

ホントの最後に、かつて某媒体で書いたミャンマーへのエールを一部再掲して、締めとさせていただきます。


* 

ミャンマーには、さまざまな人々がいます。自然も人間も驚くほど多様なのがミャンマーです。それがこの国の発展を難しくしているように見えますが、この多様さこそがこの国の美しさや魅力を形作っています。

多様性は人間を磨きます。困難は人間を輝かせます。

ミャンマーはいまも十分に魅力的ですが、近い未来には、世界中の人々の希望となるような素晴らしい国になる。それがわたしのなかにある一つのヴィジョンです。それはミャンマーという国に関わることで生まれてきた、わたし個人の幻想であり、密かな夢です。「未来」の具体的な中身はここでは語りません、密かな夢なので。……


以上です。次は動画でお会いしましょう。

そのときは「社会性をボクに与えてくれるんだ~」みたいな話はぜったいにしないので見捨てないでください。

Tik Tokめざしてがんばります。あらためて、ありがとうございました。


新石正治 拝


追伸)

じつは、団体としてのクラウドファンディングも先週末からスタートしました。

なんでこのタイミング? わたしも分かりません。現実は待ってくれないのです!

そちらでもいろいろ発信していきます。ぜひご覧いただけるとうれしいです。


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みなさま、このたびは新石正治のチャレンジを応援していただき、誠にありがとうございます!


おかげさまで1週間で(正確には5日間で)目標金額65%まで達成することができました。

ほんとうに嬉しいです。感謝の気持ちでいっぱいです。いまわたしは勇気に満ちあふれています。

みなさまがくれた勇気です! 団体の活動もミャンマーについての情報発信もがんばっていきます。


本日、目標金額3,000円達成のメニュー「ミャンマーの活動のセンシティブな部分に触れた記事一本」を書き始めました。5,000字を超えそうです。覚悟してください。でも読み飛ばせるような工夫もしたいと思っています。もちろん全部読んでほしいのですが。… 近日中にはこのページで掲載したいと考えています。


そのほか、動画などの準備風景についても、こちらで報告していきたいと思っています。


そして本文では「フルマラソンを走るのはオマケ」といいつつも、マラソンの練習もちゃんとしないといけません! マラソンを舐めてはいけません。舐めているつもりもありません。しっかり準備しないとたいへんなことになります。こちらについても記事にするかもしれません。引き続きよろしくお願いします。



さいごに、写真の紹介です。

上の写真はミャンマーでおこなっている「Book & Toy ミニライブラリー」の活動(8月)のようすです。

さいきん、嬉しかったことの一つは、おもちゃであそぶ子どもたちの笑顔でした。

ミャンマーの状況は混迷を深めていますが、子どもたちの笑顔をみるとホッとします。

「わたしたちはまだここにいていいんだ」と言ってもらえたような気持ちがしました。


(ご参考)団体で書いた活動報告はコチラです →

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以上、本日の御礼とご報告でした。



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認定NPO法人

ブリッジ エーシア ジャパン

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03-3372-9777

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代表:根本悦子

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