このキャンペーンは継続寄附になります。

このキャンペーンでは継続(毎月)での寄附を集めています。初回の寄附決済以降、毎月1日に自動的に初回に寄附いただいた金額と同額で決済が行われますので予めご了承ください。

日本IDDMネットワーク

支援総額

61,500円

支援総額

61,500円

支援者数

36人

残り

終了

わたしの宝もの

2019/12/14 00:11

娘は生後50日頃「1型糖尿病」と診断されました。

「この病気は現在の医学では治りません。一生注射が必要です」

こう宣告された時、私は「この子の人生は終わった。きっと、この子は幼稚園にも入れない、小学校にも入れない・・当たり前の人生なんて送れないんだ。」と絶望で頭が真白になり毎日泣き暮らしていました

発症の原因はわかっていない。と言われていましたが「私が年取ってから産んだから…この子がお腹にいる時に風邪ひいて熱だしたから…」と自分を責めていました。

入院していたのが産科と同じフロア―だったのでお腹の大きいお母さんをみると「またお腹に戻して産み直してあげたい。」と思ったりもしました。そして幸せそうなお母さんが羨ましくもあり、妬ましくもありました。

この当時のことはあまり思い出したくありません。引きこもって、後ろ向きでとても嫌な自分でした。

幼稚園児になれた娘があるとき

「ねぇお母さん。〇〇(娘の名前)の病気治ると?」と聞いてきたときに

(とうとう来たか)

とうろたえましたが、平静を装って「今はね、治す方法の見つかっとらんとよ。でもね、同じ病気の人でもミス・アメリカになった人とか野球選手になった人もおらすとよ。パイロット以外は何でもなれるとよ。」と話しました。

(※現在では、1型糖尿病のパイロットも誕生しています)

当の娘は分かったのか分かってないのか…泣かずに聞いてくれたことだけが救いでした。

「一生治らない」

なんて絶望的で残酷な言葉でしょうか…これを我が子に、大切な家族に伝えなくてはいけない。そんな辛い思いをする人はこれ以上増えなくていい。

もし今後かわいいわが子が、家族が、「1型糖尿病です」と宣告された人も、せめて「でも治りますよ」とひと言添えられたら、どれほどの人が救われるでしょう。

私たち患者家族の想いも研究者の方々へ託します。
「どうか叶いますように」

事務局 N.T


1-GATA リーダー・ヴォーカル
中新井美波さん

元陸上競技中長距離選手で、現在活動休止中ですが、1-GATAというバンドのリーダー、ヴォーカルの中新井美波です。

私は野球に打ち込んでいた小学6年生の頃に1型糖尿病を発症しました。

当時1型糖尿病の説明を受けるまでは、「死ぬやろな」と思っていたので、主治医から病気の説明を聞いて「一生注射はせなあかんけど、死なんでいいんや!」と思った事を覚えています。

それも、インスリンの発見から、たくさんの方々が研究し、たくさんの方々が関わって頂いたから「死ななくていい」という選択肢が出来ました。有難いと思いながら「生きる」選択肢を選び、今の私がいます。

私にとって毎日のインスリン注射は、ほどけた靴紐を結び直したり、絡まった髪をヘアーブラシで解くようなものです。生活の一つだからです。

ただ、「1型糖尿病」を知らないということでさまざまなトラブルを耳にしています。17年以上スポーツをしてきました。陸上競技に関しては日本で戦える選手だったと自負しています。しっかり病気と向き合えば、各分野で活躍する事が出来る病気です。なのに、この病気を知らない方、「周知」が足りず、涙する患者が多いのが現実です。

少しでも多くの方に、正しく「1型糖尿病」を理解して頂ければ、これから発症する子供たちも含めて、キラキラ明るい未来を作っていけると信じています。

また、荷物を持たずに友人と遊びに行ったり、高くジャンプしてもインスリンポンプがポケットから落ちないような、「キミ」と「さようなら」出来る未来を作っていきたいと考えています。

たくさんの方にご協力頂いておりますが、まだまだ研究費用が足りません。
私は1-GATA のファーストシングル「キミ」のCD売上収益金を全額寄付する形で関わらせて頂いております。

皆様の応援をお待ちしております。
宜しくお願い致します。


中新井美波


今からちょうど2年前、動悸や喉の渇き、今までに経験のないようなだるさが体を襲いました。病院で診察して即入院となり、検査の結果「1型糖尿病」と告げられました。

糖尿病の知識はなんとなくしか無かったため、職業柄食事には人一倍気を付けていたのになんで?と全く理解できませんでした。

そして医師に「今後一生インスリン注射が手放せません」という言葉を聞いた時目の前が真っ白になったことを今でも鮮明に記憶しています

「料理研究家が糖尿病」とネットニュースに載り、落ち込んでいた私が病気に前向きになれたのは同じ病をもった子供たちの家族や病歴の長い方たちからの励ましの数多くのメッセージでした。

「小さな子供たちが頑張っているのに大人の私が落ち込んでられない!」と。

この病気と2年ともに生活し、今では最新デバイスとインスリン製剤のおかげで特に制限なく生活することが出来ています。

しかしながら低血糖や食事前のインスリン注射、血糖測定と大変なことも多々あります。

低血糖は経験しないとなかなか分かっていただけないものですが特に運動量の多い子供たちには大変ですし重傷低血糖は命にもかかわる危険なものです。

そんな経験を小さな子たちも日々の生活の中で自分でやってる事を思うと頭が下がりますし患者家族たちの苦労もただならぬものがあると思います。


近い将来小さな子供たちの体に針を刺さなくてもいい時代がきっと来ます!「一生治らない」から「根治」という希望に変えたい!

そのためにも皆さんの暖かい応援をどうぞよろしくお願いいたします。

幸せ料理研究家 こうちゃん(相田幸二)

▼こうちゃんのブログはこちら

Loading...


こんにちは。日本IDDMネットワーク事務局の大村です。
1型糖尿病の夫と二人の子供とドタバタしながら暮らしています。

1型糖尿病とは関係のない体験ですが、我が子が手術をするかもしれないと言われたときに本当につらかったことがあります。いつもそのつらさを思い出し、1型糖尿病を宣告された家族の気持ちを考えます。

「〇〇かもしれません。その場合手術が必要になります。小児外科に行って調べてもらいましょう」

かかりつけ病院の先生が言いました。きいたことのない名前でした。
先生はすぐに招待状と病院予約を準備してくれました。
待合室に戻ってすぐに○○をスマートフォンで調べました。いえ、実際はその日から小児外科の診察までずっと毎日毎日スマートフォンで検索し続けました。

手術にはリスクがあり、命にかかわる。
手術後もその痛みで食事をするのもつらく、子どもはとてもつらい思いをする。
手術のあとが残る。

そんなことばかりが載っていて、心配と不安いっぱいとなり、何回調べても変わらないのに調べ続けました。
小児外科に夫が子供を連れて行ってくれた時も、早く連絡が来ないかという思いと、何も連絡が来てほしくないという思いで1日胸がギュッと締め付けられるようでした。

検査の結果は…○○ではなく、何も問題ないということでした。心底ほっとしました。でもその後数日不安が残りました。ほんとうにそうなのだろうかと。

実際何事もなく子どもは元気で、手術もすることはありませんでした。でも、手術しなくていいとわかるまでは本当につらくて、どん底で、毎日涙をこらえていました。

1型糖尿病を宣告された家族はこのような気持ちなのだろうと共感できる、私にとっては貴重な経験でした。今となってはそう思えます。この気持ちを絶対に忘れないように、いつも思い出します。

少し話は変わりますが、約100年前、インスリンというホルモンが発見されなければ、私は夫と出会うことはありませんでした。今夫との生活が成り立つのは多くの研究者の努力・科学のおかげであると大変ありがたく思います。

科学は進歩しています。1型糖尿病を根絶し、病気のせいで“絶望”する1型糖尿病患者・家族がいなくなる日が来ると信じています。

ですが、科学の進歩のためにはたくさんのお金が必要なのは事実です。1型糖尿病を「治る病気」にするための“支える人=マンスリーサポーター”になって、一緒に活動にご参加いただけますと幸いです。

事務局 大村あずさ


認定NPO法人

日本IDDMネットワーク

〒840-0854

佐賀県佐賀市八戸二丁目1番27-2号

0952202062

代表:井上龍夫