笑顔のために、できることから
2019/12/20 13:18
私は、事務局の大村とは以前の職場の同僚で、いつも大村家と家族ぐるみで仲良くさせていただいていました。
そして、一緒に食事に行った際に、副理事長である大村詠一さん(1型糖尿病患者)が食事前にインスリンの注射を打ったことにとても衝撃を受けました。
副理事長は毎日のことなので何気なく注射を打っていましたが、身近な方が注射を打つ姿に、私はとても胸が痛みました。
また、私の父は2型糖尿病のため1型糖尿病も同じような病気だと思っていましたが、同じ糖尿病でも全く違うものだと知り、大村家の役に立ちたいと感じるようになりました。
その後、日本IDDMネットワークのボランティアを経て、ご縁があって勤務できる機会をいただきました。
働いていくうちに大村家以外の1型糖尿病患者・家族の大変さを知る機会も増え、
「1型糖尿病を治る病気にするために何かできることをしたい!」
という想いがさらに強くなりました。
しかし、私だけの力ではあまりに微力です。
支援する方々が増えれば、1型糖尿病を治すための研究を進めることができます。
そのため、私はSNSで1型糖尿病支援を積極的にPRしています。
2025年までに1型糖尿病が治る病気になれば、多くの1型糖尿病患者を救うことができます。
ぜひマンスリーサポーターとして1型糖尿病を治る病気にしませんか?
1型糖尿病患者・家族の笑顔のために、一緒に何かできることから始めましょう!
事務局 谷永
太田晃司さんから応援メッセージをいただきました!
2019/12/18 12:50
写真家
ボクシングカメラマン
太田晃司さん
自分が1型糖尿病を発症したのは生後8ヶ月の頃でした。
小さい頃の記憶も病院の中での事が多く、インスリンを打つのが当然という生活の中で、病弱だった僕は強さを求めて思春期の頃にボクシングを始めました。
命をかけてもプロのリングに上がろうとしましたが、1型糖尿病のボクサーは前例が無く、周囲の反対を受け、断念せざるをえませんでした。
1型糖尿病と向き合い、思い悩んだ思春期を越えて、僕はプロボクシングのリングへ1番近い場所。 リングサイドカメラマンとなる道を進み、プロカメラマンとなりました。
「挫折したって大丈夫!」をモットーに人生で1番の挫折が、今の僕の原動力になり、今では1型糖尿病カメラマンとして、撮影の仕事をしながら1型糖尿病の認知活動もしています。
「一生注射を欠かさず、血糖値を見ていかなきゃならないよ」 と言われた病を、根治出来る未来がすぐそこに見える時代になりました。
患者として、これから1型糖尿病と歩みを共にする子たちや家族の方々。 皆さんと共に明るい未来へ、歩んで行きたいです。
学校生活や、普段の生活の中で、1型糖尿病と共に生きていく事は、本当に大変な負担にもなります。
「1型糖尿病だから」と夢を諦める事の無い未来へ。
1型糖尿病根治へと向けて、マンスリーサポーターの活動を心から応援しています。 皆様の応援をどうか、未来の子ども達へ宜しくお願い致します。
誰がいつ発症するかわからない。発症を予防したり、根治できる世の中へ
2019/12/17 12:56
普通に過ごしていた日々の中で、私の父は60代で1型糖尿病になりました。以前は、小児糖尿病と言われていましたが、どの年代の方でもかかりうる病気です。
ある日突然1型糖尿病だと言われ、その時から生きていくために、患者は注射との生活が始まります。注射はたまにするのも嫌なのに・・・。
幸い、今、1型糖尿病の根治や予防の研究が進み、毎日体に針を刺すことが無い未来が訪れようとしています。ただ、研究の継続には費用もかかります。
研究継続のため、継続的に研究を応援していただくマンスリーサポーターを募集しています。無理のない範囲で、ご協力をお願い致します。
また、父が1型糖尿病になり、私が事務局へ勤める御縁もあって、ふるさと納税の返礼品として母が伝統工芸品の木目込み人形を佐賀錦で木目込んだお雛様を掲載しています。写真はそのお雛様です。
事務局 野田
「大丈夫、治るよ」と言えるように
2019/12/16 15:52
日本IDDMネットワーク事務局で働いている古賀と申します。
3人の子どもがおり、2人目が生後5ヶ月の時に入職しました。保育園への入園が決まるまで一緒に事務所に連れてきて、おぶって仕事をしていたのも懐かしい思い出です。3人目の産休・育休を経て復職し、他のお母さんスタッフ達とバタバタしながら頑張っております。
入職するまで「1型糖尿病」を知らなかった私ですが、一生治らない、注射を打たなければ死んでしまう、そんな病気にある日突然なったらどうするか考えさせられました。子どもだったら…夫だったら…自分だったら…。
そして、仕事をはじめて3ヶ月ほど経ったとき、高校時代の後輩が糖尿病で入院しているらしいと人づてに聞きました。まさかと思い本人に電話すると「1型」でした。
このために私は日本IDDMネットワークと出会ったのか!と、資料を持って入院先へ急ぎました。ロビーで会った後輩は、少し痩せた気はするもののそれなりに元気そうでした。
診断を受けるまでの経緯、入院中の指導、これからの生活、他愛ない学生時代の思い出話も混ぜつつ、なるべく深刻にならないよう「大丈夫」と言うけれど、3ヶ月で詰め込んだ、きっと役に立つと思っていた知識を並べても、後輩の顔がすっきりと晴れることはありません。
「なんでなんだろう」「ずっと注射なのかな」
答えられません。資料には書かれていても、その「答え」を口にすることが救いにはならないと痛感しました。
そうか、今のままではいけないから私たちは活動しているのか!!当事者でも患者家族でもない私が、NPOという団体で活動に参加することを自覚した瞬間でした。
ある日突然1型糖尿病なったらどうするか、今も考えます。誰がなっても「大丈夫、治るよ」と言えるように、今できることをやろう。私一人ができることはとても小さい。でもそう思う人が100人増えたら、5年後にはどれほどの力になっているでしょう。
振り返れば5年前、根治はまだまだ夢のような話に感じられました。活動当初からけん引してきた井上理事長、岩永副理事長の25年を想うと気が遠くなります。
それでも、これまでご支援くださった皆様のおかげでここまで来ました。寄せられるご寄付や応援のメッセージを見るたびに思います。
「根治は夢じゃない!大丈夫、治るよ!」