野犬の母子を引出し保護しました!【2/27に生ライブのお知らせ】
2021/2/24 13:27
2020年12月初旬… 成犬の女の子が愛護センターに収容されてきました。
捕獲された場所や特徴から、先に収容されてきた皮膚病の野犬の一族だと思われます。
収容されてから、犬舎の隅で小さく固まっていたその子は センターに収容され約1ヶ月後の今年1月に5頭の子犬を出産しました。
ですが、その内の3頭は死産、 産まれてきた2頭のうちの1頭も奇形があり、すぐに亡くなってしまいました…
お腹に赤ちゃんを抱えて収容され 、不安でいっぱいのなか、ひとりで出産をし我が子を4頭も失ってしまったお母さん犬の事を思うと胸が痛みました。
残った1頭の子犬がどうか無事に育ちますようにとメンバー皆、祈っていました。
それから1ヶ月たち… 残った1頭は亡くなった兄弟犬達の分までお乳を貰い、スクスクと元気いっぱいに育ちましたが、犬舎を覗くといつも壁の隅っこに顔を埋めているお母さん犬の姿がありました。
まるまると育った子犬とは対照的にお母さん犬は痩せていて、少しでも安心出来る場所で子育てさせてあげたい… と思うようになりました。
でも、実はこの親子よりも前に収容されていた野犬の成犬の男の子達も収容が長くなっている事が気になっていました。
どの子を引き出すか、どの子がうちの子達との相性が良さそうか、実際に会ってみることにしました。
2月18日、愛知から車を走らせセンターに行きました。
まず野犬の成犬の男の子達がいる犬舎へ。
1頭目の子はアカラスの治療中でした。治療の為の補助をしましたが、口輪を付ける時も注射を打つ時もじっと我慢をしていて、頑張ったご褒美にあげたおやつも食べれず、体を硬直させていて内気そうな性格に感じました。
2頭目の子は一緒に行ったメンバーが犬舎に入りました。 入ろうとすると顔をあげ、唸って威嚇していました。
でも、横に座っておやつをあげると食べてくれました。割と肝の座った子のように感じました。
最後に野犬の母子の犬舎に入りました。
犬舎に入ると、やはり隅っこに顔を埋めて小さな体を更に小さく小さくして、怯えているお母さん犬の姿がありました。
1頭目の子は治療中… 2頭目の子はうちの子達と相性が合わなさそう… 代表に電話をして 「野犬の母子を引き出したい」 と相談しました。
「子犬は一般譲渡になれるし、他団体さんも引き出されるかもしれない。それにお仕事がありながらお世話するのは大変じゃない?子犬が一般譲渡に行った後にお母さん犬だけを引き出してあげた方が良いのじゃない?」 と私を心配していました。でも、他団体さんの引き出し予定はないそうで、一般譲渡に行けるまでの間もあの犬舎で母子が暮らすのは本当に忍びなくて… また、子犬だけが一般譲渡に行ってしまえば、子犬はたった一人で犬舎にいなきゃならなくなって、お母さん犬だけ収容棟に残される…私は泣きそうになりました。そんな想いを代表に伝えたら「分かった!大変だけど宜しくお願いします。」と快諾してくれました。
愛知に連れ帰りケージに親子を入れると、お母さん犬はケージの隅っこに顔を埋めて背中を向けていました。
これまで預かった野犬達、初日にご飯を食べられる子はほとんどいなかったのですが、お母さん犬は夜中に皆が寝静まった後にしっかりご飯を食べていました!
子犬にお乳をあげなければいけないので食べてくれたかと思うと、母の逞しさと健気さを感じ胸がいっぱいになりました。
連れ帰ってから3日…お母さん犬はケージの隅っこにいるものの、顔を埋めて背中を向けることはなくなり、お顔をこちらに向けてくれるようになりました。
撫でると気持ち良さそうな表情も見られるようになってきました。
子犬は 好奇心旺盛でとってもお転婆さんです!
ふたりとも よく食べ、よく寝て、環境の変化のストレスもあまり感じていない様で安心しました。
さて 実はこの親子 まだ保護名をつけてあげていません!
種っ子応援団の方々のおかげで 助けることができた命達です!種っ子応援団の皆様に保護名をつけて頂けたら嬉しく思います!
つきましては、2月27日15時からFacebookで生ライブを行い、この母子の様子をご覧いただきたいと思っています。その時にお名前を募集させていただき、後日、種っこ応援団の皆様に投票で決めて頂けたら嬉しく思います。
この「種っこ応援団」キャンペーンも後残すところ5日となりました!もし、私たちの活動にご賛同下さり、応援団として仲間になって下さる方がいらっしゃいましたらこの機会にどうかご参加下さいませ!
沢山の皆様に参加して頂けたら嬉しいです!
どうぞよろしくお願い致します!
尚、母子の成長の様子はblogでもご報告させて頂きますので、皆様に 見守って頂けたら嬉しいです!里親募集もしていきますので応援して下さいね!
愛知メンバー 田中朱里
田中ん家の保護っ子たち:
看板犬シードとの出会い
2021/2/23 13:29
2017年12月クリスマスが近づく頃、2頭の犬が一緒に彷徨っていたところを警察によって保護され、岡山県動物愛護センターに収容されてきました。
保護される時に1頭の犬が警察官を咬んでしまい、咬み犬として「殺処分対象」になっていました。もう1頭の犬は大人しく、足が少し不自由な小さめの女の子でした。
一度人を咬んでしまった犬は、その先入観で「怖い犬」と思われ「殺処分決定」となってしまう可能性があります。
私たちはその犬が本当に「怖い犬」なのか確かめてみることにしました。
犬舎の中で固まって身動きもできない状態でいるその犬を見て「怖いのはこの子の方なんだ」と思いました。
一緒に彷徨っていた大人しい雌犬の足の状態をレントゲンで診る時に合わせて、その犬にスリップリードを付けて検査室に連れて行ってみました。その犬は、リードを付ける時抵抗はしましたが、決して噛みつこうとして暴れることはありませんでした。
犬は一緒にいた雌犬を見た途端、とても喜んで、また、とても心配そうでした。レントゲン室に連れて入られるその雌犬を庇ってキュンキュン鳴きながら縋り付くように舐めていました。また、雌犬も心配そうに、また、大丈夫だよとなだめる様にその犬に寄り添っていました。
その2頭の姿を見て「この子は、仲間を守ろうとして警察官を咬んだんだろうな。」と思いました。
大丈夫!大丈夫!何度もそう言いながら、オヤツをそっと差し出すと、その犬はひれ伏したままオヤツを食べに寄ってきました。
怖かったんだよね!仲間が心配だったんだよね!胸が締め付けられるように熱くなりました。
「怖い犬」その日からもう、そう呼ぶ人は誰一人いなくなりました。
もし、「怖い犬」と呼ばれる犬の犬舎に誰も入ってみなければ、
もし、先入観で決めつけて本来の姿を見たいと誰も思わなかったら、
今、ここには居なかった命です。
私たちはその犬に「シード」と名付けました。
シードは「怖い犬」どころか、本当に優しく気遣いさえできる賢い犬でした。
一緒にいた雌犬ちゃんは優しい里親様のもとで幸せに暮らしています。
そして、シードは当会の看板犬として、イベントに一緒に参加したり、ノーズワーク訓練や競技会に向けての訓練をしたり、家では毎日元気に保護犬たちと遊んでいます。
いつも笑顔満載の可愛いシード!その笑顔を見るたび、どんなに大変でも諦めなくて良かったと強く思うのです。
どの命も同じ、たった一つしかない尊い命…
決めつけない!諦めない!
代わりのないたった一つの命たちのために!
これからも活動を続けてまいります。
このキャンペーンも残すところ後6日となりました。
一度は殺処分とされた命たち…その命たちが今、こんなに輝く笑顔を見せてくれます。
この笑顔を守るために皆様のお力を少しだけお貸し下さい。
どうか応援宜しくお願い致します!
理事長 濱田一江
出会い…
2021/2/22 11:07
2016年の11月28日
センターの職員さんや業者さんを咬んでしまったことで、殺処分が決まっていた「トキ」の引き出し交渉で降り立った岡山空港。
NPO法人しあわせの種たちの濱田さんが車で迎えにきてくれていた。
数日前に、檻越しに牙を剥いて唸るシバイヌの動画が送られてきて、
「この子どう思いますか?」と聞かれていた。
「怖いんですよ、人や手が」
その行動が“怖いよ、それ以上近寄らないで“という犬に生まれつき備わっている非音声言語(カーミングシングナル)であることは容易にわかった。
「どうにかなるかなぁ」
「安全だとわかれば」
そんなやりとりをしていたので、車にのるやいなや、
「あの子どうなりましたか?」と尋ねた。
「あの子なぁ、もう、おらんと思う。なんともしてやれんやったわ。一生後悔背負って、もう2度とどんな子もこんな目に合わない世の中にせんと、、」
絶望の淵に立たされそんな決意を語りながら、岡山県愛護センターを目指していた。
センターの犬舎に入って1番に目に飛び込んできたのは、まだ若そうなあの動画のシバイヌだった。
「濱田さん、この子いるよ」
「ほんまや、よかったぁー、おったんか」
絶望が希望に変わった瞬間だった。
私はその日、その子が収容されている冷たい檻の前で、ただ、ただ、なんてことのない時間を過ごしていた。
牙を剥いて、唸っていたその子は、そのうち私の前で伏せをし、グルーミングし始め、まだ緊張はあるものの、どうやら危険人物認定は解除されたようだった。
「人が近づいても、そんな顔せず、尻尾振ってかわいいお顔をしてね。そしたら広ーい野原を思いっきり走れるからね」
そんな言葉をかけ、この子がたくさんの人に愛されるように、愛ちゃんと名付けた。
「濱田さん、この子大丈夫ですよ、愛ちゃんて名前にしました」
その日からその子を生かすために、みんなが動きだした。
そして、それから半月も立たず愛ちゃんは「シャバの空気」を堪能することになった。
私は愛ちゃんの犬生に関わっていきたいと思い、この子に人と暮らすための教育を提供するためスポンサーとなった。
そして、それから半年後、、、
訓練競技会デビューした愛ちゃんは、競技中にスルッと網をくぐり脱走。
競技会会場の広ーい野原を思いっきり走って、他の競技会場に乱入したり、、それはもう、みんな冷や汗が…
誰が呼んでも、逃げ回って、自由を思いっきり楽しんでいた愛ちゃん。
私は手に持っていたビデオカメラやバッグを投げ捨て
「あいちゃーーーん!」と叫んだ。
その時、愛ちゃんは私をめがけて一直線にむかってきた。
そして、満面の笑みで私の胸に飛び込んできた愛ちゃんをしっかり受け止めた。
そんな愛ちゃんが泣けてくるほど、可愛らしくて 可愛らしくて
この子の一生をずっと守っていこうと 強く 強く 思ったのでした。
警察犬審査会のための訓練を受け、そして今、愛ちゃんは新天地で探偵犬になるべく勉強中。
愛ちゃんに出会うきっかけとなった殺処分寸前だったトキは3年のトレーニングを終え、今、安住の地を得ました。
私はこの4年で5頭のスポンサーとなり、この子たちが人と幸せに暮らすためのお手伝いをしてきました。
送り出すときは、ちょっぴり寂しさはありますが、里親さんの元で幸せいっぱいの顔をみると、何にも代え難い、とびっきりの喜びを感じます。
皆さまにもぜひ、この喜びを感じてほしいと心から願います。
愛ちゃんスポンサー:株式会社ギフトタンク今里ぢん
☆☆☆
2016年11月、一匹の柴犬が岡山県の動物愛護センターに収容されました。
人に怯え、歯をむき出しに威嚇し、噛み付くため、譲渡ができないと判断され殺処分が決定されてしまいました。
「この犬はダメだよ。処分になると思うよ。」職員さんの言葉に私は息をのみました。柴犬って、こんな子普通にいるよね?そう思いながらも手を伸ばすと噛みつかんばかりに威嚇してきました。でも、何度か通う内、その柴犬のなんとも不安そうな悲しそうな表情を見ました。決して狂暴なんかじゃない!そう確信しました。
しかし、その頃はNPOを立ち上げたばかりで預かりボランティアも少なく、預かり枠も足らない。また、資金力も全くなく、私にはその柴犬を引出し保護することが出来かねていました。
暫くして、当会の里親様でもあり咬み犬の訓練費のサポートをして下さっている東京の今里さんが岡山に他の咬み犬の引出しに同行するために来て下さいました。今里さんは犬舎の前に座り込みずっと愛ちゃんとお話をしていました。
「濱田さん、この子は大丈夫よ!愛ちゃんって名前にしました!私がスポンサーになって愛ちゃんにかかる費用はみてあげる!訓練をさせてやってほしい。愛ちゃんのように誤解されたまま殺されている子が全国に沢山いる。その子たちの灯となって未来への道しるべになってほしい!私は現場で活動してくれている濱田さんたちのようにはできないけど、少しでも支援することで助けることができるなら訓練費の支援をするから!」そう仰って下さいました。
今里さんとの出会いはブラッキーという犬を譲渡したことでした。ブラッキーは違う方へ一旦は譲渡されたのですが、あちらの事情により返されてしまった過去を持つ子です。今から思えば、まるで今里さんという家族をブラッキーの方が選んでいたんだと思うように自然に今里さんの家族となり幸せに暮らしています。
今里さんとの出会いは私たちにとっても咬み犬にとっても大きなものでした。もしかしたら、私たちだけでは助けることができなかったかもしれない咬み犬たちを助けていけたのは、今里さんのような犬たちのスポンサーとなって下さる方がいたからなんです。今里さんには本当に感謝しています。
さて、愛ちゃんですが…一旦、殺処分決定となってしまったら引き出すことさえ難しい。
「この子が本当に狂暴なのかどうか確かめさせてほしい!もう少しだけ時間を下さい!」私はその当時のセンター所長に何度も頭を下げて頼みました。「毎日、ちょっとの時間でも毎日通わせて下さい。それでもどうにもならなければ諦めますから。」と。
次の金曜日が処分予定だと言いながらも…所長は「分かった!1週間だけな。その時に判断しよう。」と許可を出して下さいました。
1週間…一体、何ができるだろう…そう思いながらも毎日通って犬舎の中に入りました。所長は「濱田さんが危険な目にあったらいけないから僕も付き合うわ(笑)」そう言って、毎日犬舎の傍にいてくれました。
きっと、所長も本当は助けたかったんですよね!私は凄く嬉しかったです。
さて、犬舎に入って最初は傍で座っているだけ、掌にオヤツを置いてみる。私の匂いを嗅ぎながら回っては少しづつ掌のオヤツを警戒しながら食べにくる。次の日、オヤツを手に握って出してみる。鼻で掌を開けと突いてくる。少し開いて、その瞬間鼻を撫でる。何度か警戒して威嚇するものの掌からオヤツを食べてくれるようになりました。3日め、私が行ったら喜んでくれるようになりました。で、リードを付けてみるとまたガルガル…でも、5日目にはリードを付けてお散歩に行くことができました。その間、一度だけ手に噛みついてきましたが、本気咬みではなかった。
私を試している…そんなふうに思いました。それからは歯をむき出そうが怖くはなくなり、愛ちゃんと向き合うことができたと思います。
それから何頭も何頭も咬み犬といわれる殺処分決定の犬たちをレスキューしてきましたが、どの子も殺されて仕方ない理由なんてありませんでした。
訓練の必要性はもちろんですが、結局は愛されることで犬たちは変わってきます。どの子もみんな、愛されたいのです。
生きて、笑って、幸せを感じたい命たち。それはどの子も変わりないんだと思います。
どの命も一つしかない尊い命…これからも笑顔の花を咲かせられるように頑張ってまいります。
もし、私たちの活動にご賛同いただけるなら是非、「種っこ応援団」として殺処分対象となっていた犬たちの未来への道をつくっていくためにサポートして下されば本当に嬉しいです。
理事長 濱田一江
エルモが教えてくれたこと
2021/2/21 11:07
2015年2月…まだ私が個人ボランティアだった頃の極寒のセンター。私にとっては忘れることができない出会いとなった犬がいます。
その犬は犬舎の中で人恋しそうに吠えていました。
その声はまるで水に溺れているように籠った声で、呼吸が苦しそうに見えました。
フィラリアですか?職員さんに聞いたら、やはりフィラリア強陽性…収容数が多くなり犬舎の余裕もなくなってくる…しかし、その子はとても性格の良い子です。人間が大好きです。センターとしてもこの子の抱えたリスクはあってもなんとか里親募集をしてやろうとして下さっていたようです。
ですが、この子の苦しそうな様子を見ると一刻も早く詳しい検査をして治療してやりたいと思ったのです。
ただ、私も野犬ちゃんや人馴れが充分でない子達を抱え、お世話できる限界を越えてきています。
また、それに伴い、現実問題として、検査費用、不妊手術や診療費用などずいぶんと嵩んでいます。
しかし、そんなことを考えている間にこの子の命は蝕まれていく…
私はこの子にエルモと名を付けました。イタリア語で「愛する者」という意味です。
早急に引出して病院へ行きました。やはり診察結果は思わしくなく、心臓が肥大し肺を圧迫していて、肺には水が溜まっているようです。心臓はいつ止まってもおかしくないくらい悪いということです。沢山のお薬が出ました。
その時のエルモ、推定5歳、去勢手術もされてなく…ましてやフィラリアは飼主が予防してあげたらかかりません。こんなに苦しむことはないんです。
この子の付けていた黒い首輪はボロボロでした。
そんなに長い事彷徨っていたとは考えにくい。捨てられたばかりか迷子になったばかりかは分かりませんが、エルモは大切にはされていなかったようです。
くやしいなぁホントに。もっと早くもっと早く出会っていたかった!!
一緒に暮らすようになって、エルモは私のストーカーみたいについて回るので蹴飛ばしてしまいそうになります…猫に興奮しては息が苦しくなってしまう。遊びたいけどしんどくなってしまう。
本当はヤンチャな子なんだろうな。しんどいから大人しくなっちゃうよね。
夜も咳き込んだり息苦しそうに何度も目覚めます。そっと撫でていると少しは落ち着いてくれるのか、また眠ってくれます。
保護して2ヶ月が経った頃、ものすごく呼吸の状態が悪くなり、エルモの呼吸に合わせていると私が酸欠で倒れそうになるくらいでした。どれだけしんどいんだろうかと…横になってもしんどくて起き上がり、咳き込んで咳き込んで、座ったまま居眠りをして倒れそうになる。横から支えるように抱きかかえてみても、それがエルモにとって楽なのか?苦痛なのか?分からなくて、どうしてあげたらいいのか分からなくて、泣きました。
辛いのはエルモの方なのに、頼りないママでごめんね…
私は仕事も持っているし、他の犬や猫達もいるので、エルモにはお家で一緒にいられてエルモの事だけをみていて下さる優しい里親さんを探してあげたいと里親募集も考えてはいました…でも、こんな状況のエルモを手離すこともできそうにありません。こんな私ですができる限りのことをしよう!私の子として最後まで一緒にいたいと思いました。
エルモ…愛する者…本当に、この子は愛される為に生れてきたはず。この世に生を受けた命は、どの命も意味を持ち、どの命も尊い・・・人間だけでなく・・・
エルモはセンターで出会った時にはもうフィラリアに侵され末期の症状が出ていた。でも、だからこそ一日も早く治療したくて引出した。でも、手の施しようはない。心臓の肥大は尋常でなく肺水も抜けない状態でした。いつ何があってもおかしくない状態で、もし、引出していなかったらセンターで亡くなっていたでしょうと獣医師に言われました。絶対安静と投薬で少しでも延命出来たらという状態ですが、最後は血水を吐いて苦しみながら亡くなる事を覚悟しておいて下さいと言われました。それが、明日来るか、2ヶ月先かは分からない。ただ、半年、一年と言うとそれは持たないでしょうと。
この病の最後は本当に苦しいそうです。ここまでになって症状がでているエルモです。飼い主はきっと知っていたはず。それでも捨てた飼い主を私は憎みます。
エルモ、なにもしてあげられなくてごめんね・・・エルモが少しでも楽に、楽にいられますよう・・・そして、いつかくる最後の時を少しでも安らかに迎えてほしい。
息をするのも辛そうなエルモの為に酸素ハウスをレンタルしました。でも、エルモが入れる大きさがないので、小さめのサークルで酸素ハウスを作り機械だけをレンタルしました。
エルモと出会ってつくづく思うんですよね…私はホントに幸せだなぁって。そりゃエルモの病気の事を思うとホントに悔しくなったり不安になったり可哀そうで苦しくなったり、お金だって時間だってかかるけど、そんなことなんか吹き飛んじゃうくらいの愛おしさがある。大切な大切な時間がある。
オヤツを見たときのエルモの目の輝きや、ピョンピョン跳ねて飛んでくる姿や「絶対安静!」守らなきゃいけないことは分かってる。でも、サークルのなかでだけ過ごすのはそれもどうなんだろうって悩んで…悩んで…夜は、一番呼吸状態が悪くなるので酸素ハウスで寝てもらいます。朝は、出せ!という声でハウスからお部屋に出してあげます。でもエルモはやはりしんどいから、自ら安静にしているんです。サークルから出してあげても殆どは私の傍で横になってます。サークルの中でなく私の傍で…それでいいよねって思うんです。
エルモはいつ最後を迎えるかそれは分からない。でも、今エルモは生きている。少しでも楽しくいよう!
そして、4ヶ月が経った頃、なんと!フィラリアの治療ができるまでになったんです!薬を飲ませた2日間は目を離さずに、絶対安静で!と先生に言われてたのでもう、ホントに怖かった!
1日目、エルモはだるそうで一日中眠っていました。ミクロフィラリアが死んで血液に流れているのかな・・・どこかで詰まってしまったらと想像しては怖かった。エルモの身体が戦ってる!そう思いました。「勝て!エルモ!負けるな!エルモ!」何度も心で叫んでました。でも、ホントにホントに私にとってはエルモがフィラリア治療できるようになるなんて奇跡で!!一度傷つけられた臓器や血管はもと通りにはならないそうですが、それでも何もできないで苦しい最期を待つだけなんて耐えられなくて・・・エルモが可哀そうで仕方なかった。
いつ心臓が止まってもおかしくない状態と言われ、できることは絶対安静。フィラリアの治療は危険すぎてできない。苦しい最期を迎える事を覚悟していて下さいと言われ、一つの病院では安楽死の対象であると言われました。悩んで考えて、苦しい最期を迎えるくらいならと何度も頭をよぎりました。
でも、エルモは生きようとしてる。私を真っ直ぐ見つめてくれる。エルモを見てると出来る限りを尽くしてみようと思いました。そんなエルモがこうして治療できるまでになれたことは本当に嬉しい!あの時、諦めなくて良かった!
そして、センターから引き出してもうすぐ3年という月日が経った頃、フィラリア陰転!エルモがフィラリアに勝った!当初、一年はもたないと言われたエルモが3年!フィラリアもやっつけたんだ!
その喜びもつかの間、それから1月ほどして、後脚の浮腫が酷くなり、息も荒く苦しそうな状態が続くようになりました。
心臓の肥大がまたまた進み、臓器が悲鳴を上げてる。横になって休むこともできず、フラフラしながら立ったまま息苦しそうなエルモに何もしてやれない自分が本当に悔しかった…
私にも仕事があります。メンバーたちも皆、仕事や家庭があります。
本業は生活の糧であると同時に、私たちにとってはこの活動の源ともなっています。
でもこの活動は命あるものの命にかかわる現場になります。特に可愛い保護っ子たちが苦しい時、しんどい時、辛い時、困っている時、一番そばにいてやりたい!できる限り仕事場にも連れて行って傍にいました。
エルモは何度も山を越えてくれ、でも、その度に少しずつ元気が失われ...エルモの心臓には負担が大きすぎました。
フィラリアにさえかからなかったら本当はお茶目で明るい元気な子だったと思います。
3年経った寒い夜…エルモは私の腕の中で逝ってしまいました。
エルモは生きていたかったんです。本当に最期まで伝わりました。
最期の時、何度も私を見て、まだ生きていたい!一緒にいるよと言ってました。
でも、あまりに苦しそうなエルモに、もういいよ。楽になっていいよ。エルモの良いようにしてね。と言いました。
ずっと大好きだから、ずっと一緒だからエルモはお母さんの子だからね。エルモに会えてお母さんは本当に嬉しかった。エルモといられて幸せだよ、有難うね。と言いました。
大きく頭を頷くように二度振って、それからエルモは頑張るのをやめたように思いました。
ずっと無理をして頑張っていたんだと思います。
最期の最期までもっと一緒にいたいと伝わってきました。
エルモ、ごめんねは言ってはいけないと言うけれど、やはりごめんねと思う。でも、それより有難う。
エルモの純粋な愛を私は沢山もらいました。私はエルモに会えて一緒に時を生きれて本当に幸せでした。心から有難うエルモ。
エルモと共に生きた時間、一つ一つの仕草、表情、優しい瞳、キラキラした瞳…全て私の中で忘れることはありません。
永遠に愛するもの…エルモはその名のとおり、最期の最期まで愛に溢れる強く優しい素晴らしい子でした。
エルモはフィラリアに侵されなければ、本当に元気な健康な身体で生まれていて、もっと長い犬生を送れたはずです。
きっと神様とこの世で沢山のことを約束して生まれてきたんだと思う。
エルモが最後に教えてくれたこと...ワンコは純粋に生きるということを最後まで諦めない。
だから明日も元気に生きていられるはずの命を奪うことは何があってもしてはいけない。
寿命を迎えるその時は神との約束の時。
殺処分とはその神の領域を犯す最悪の罪だと思う。
絶対許されない人間の罪だと思う。
エルモの最後の瞳は私にそれを痛切に教えてくれました。
生きることを諦めない命たち…純粋にまっすぐに...
その命たちを人間の勝手で奪ってはいけない。絶対に。
お母さん、頑張るよ エルモ…
理事長 濱田一江
ハマダ家の保護っ子たちblog: