#コロナ危機 世界遺産での「学びのバリアフリー」を実現するために運営支援を!

寄附先

NPO法人 石見銀山資料館

仲野義文

支援総額

1,637,000円

支援総額

1,637,000円

支援者数

154人

残り

終了

このキャンペーンは終了しました

湯淺隆さんより応援メッセージをいただきました

2020/6/15 10:17

石見銀山資料館に寄せて

ポルトガルギター 湯淺隆(マリオネット)

私は日本人のポルトガルギター奏者ですが、日本とポルトガルとの関係を歴史

的文化的脈絡で問う時、最も重要なキーワードが「南蛮」です。

直木賞作家で石見銀山を主眼にすえた小説「銀の島」を書かれた故・山本兼一

さんは、かつて私信の中で【「南蛮」は、日本人にとって、遠きものへのあこ

がれの源泉だと思います。通信による情報などまったくない時代。日本人は、

はるかな海のかなたからやってくるポルトガル人に強烈な衝撃を受けたはずで

す。その衝撃は、やがて、日本人の内部で昇華され、ひとつの美意識にまで高

まりました。】と述べられ、その箴言は、今でも私の活動に限りないインスピ

レーションを与えてくれます。

ところで周知の通り、南蛮文化は、石見の銀をめざした南蛮貿易による文物交

流の上に花咲きますが、その原資たる「銀」を、様々な角度から紹介している

石見銀山資料館も、無論、私にとってイマジネーションの宝庫たる場所です。

また、世界遺産でもある「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、人的努力によ

り、その豊かな生態系との共存を営々奇跡的に保ってきており、今まさに、そ

の営為を、この厄介なご時世に照らし合わせてみれば、それらの対比は人類の

新しい未来の姿を考える機会に満ちあふれています。

言わずもがな、世界遺産は地球に遺すべき人類の貴重な財産です。そして、そ

の歴史的文化的脈絡を、訪れる人々に教え伝えてくれる石見銀山資料館は、同

様に後世に存続させなくてはならない私たちの大切な財産だと思います。

スタッフより

本日6月15日は、ポルトガル船寄港を平戸で大歓迎した日(1562年)です。この日に合わせ、湯淺さんにメッセージをお願いしました。


石見銀山資料館史をひも解くと、石見銀山資料館は行政からの補助、助成もなく、入館料を主な資金として運営されている世界遺産石見銀山唯一の博物館で、開館以来50年近く経過し、今日では大森町になくてはならない歴史ある文化施設です。

開館以来、時代時代で運営に工夫、努力がなされ今日まで、観光客への世界遺産石見銀山の意義・魅力への理解の手助けをはじめ、地元の多くの文化活動をとおして「地域の誇り・郷土の誇り」などを地域の人・子供たちへ知らず知らずのうちに教えていただく存在です。

私も郷土の誇りを学び、資料館主催の文化活動に参加する一人ですが、参加するたびにハッとする発想や、アイデアをもらい、私の学びのヒント・テーマにつながります。また疑問が生じると石見銀山資料館が地元にあることからすぐに館長さんの所に飛び込みますが、気さくに対応してくださり、わかりやすく教えていただけ、まさしく貴重で、身近な知的文化施設であり、なくてはならない存在です。

世界遺産である石見銀山遺跡は90%近くがまだまだ地下に眠っていると言われます。遺跡発掘、研究・教育は時間がかかり、世界遺産石見銀山全体を知るには何世代かかるかわかりません。そのような中、研究・教育は現場のある中で行われるのが理想とされていることを考えると石見銀山資料館は旧鉱山町大森すなわち世界遺産石見銀山のど真ん中にあり、又、仲野館長も石見銀山の歴史や経験を優れた教材と考え、今後の運営を図りたいと抱負を語られていることからも、現在の石見銀山資料館は正にうってつけの博物館です。

そのためにも石見銀山資料館がこの新型コロナ危機を乗り越えるために協力しようではありませんか。

東京農業大学名誉教授 高橋 悟


石見銀山資料館では6月1日のリスタートを記念してスポット展「福面の図」展を7月31日まで開催しています。福面は覆面のことでマスクです。本日、中国新聞の「中国わいど」で紹介されました。

マスクを考案した宮太柱

この福面は安政3年(1858)、代官屋代増之助が鉱山病対策のために招いた備中国笠岡(岡山県笠岡市)の医師宮太柱(みやたちゅう)が考案したものです。宮太柱は、文政10年(1827)、備後国安那郡西中条村深水(広島県福山市)の宮太立(みやたりゅう)の次男として生まれました。父太立は長崎で蘭学を学び、のち福山藩の藩医に抱えられ、太柱を引き連れ江戸に出ました。しかし、息子太柱は国学の私塾を開き、その上尊王攘夷運動にかかわったことから、父太立は責任を取って太柱とともに国元に帰り、備中笠岡で町医者になったといわれています。

労働者を襲った鉱山病

江戸時代、坑道の中で働く労働者が患う病気に「気絶」(けだえ)がありました。気絶とは、鉱石の採掘時に出る粉石やさざえ灯から発生する油煙などを吸引することで患う呼吸器の病気です。現代では「じん肺」と呼ばれています。気絶を煩うと「せきをせき、煤のごときものを吐き」ついには死に至る、恐ろしい疾患でした。そのため坑内労働者は20歳から30歳迄を人生の盛りとし、それ以後は死ぬか、仮に生きていても働くことはできなかったといいます。

「福面」はhappy mask!

鉱山病対策として招かれた宮太柱は、安政3年8月に銀山に入り、同5年(1860)6月まで滞在して調査を行い、報告書として『済生卑言』(さいせいひげん)をまとめました。「福面」はこの報告書の付図としてあるものです。解説では、福面は鉄でフレームを作り、これに薄絹を縫い付けて、表面には柿生汁(柿のしぶ)を塗って作りました。使用の際にはマスクの内側に「梅肉」を挿れました。これによりマスクの表面に付着する粉塵や油煙を梅の酸で防止できたとされています。宮太柱は「覆」の字を縁起のよい「福」に変えて「福面」と呼びました。この「福面」は人の命を救う「happy mask」であったといえるでしょう。

日本最古のマスクの資料か?

(一社)日本衛生材料工業連合会に照会したところ、一般に明治12年(1879)の広告がマスクに関する最古の資料とされています。しかし、石見銀山の「福面の図」はそれ以前のものですから、ひょっとしたら日本最古の資料かもしれません。今後の調査に期待してください。


本日12時45分に目標金額100万円に到達いたしました。100万円目の寄付者は奇しくも20年以上も石見銀山の調査研究を共にした知人でした。特に知らせたわけでもありませんが、いつも気にかけてもらっていることに感激しました。もちろん、このようなケースはこの知人だけではありませんでした。むしろほとんどの方が、どこかでコロナ禍で苦境に立つ資料館の状況を聞きつけ寄付をしてくださったのだと思います。

当初クラウドファンディングをすることには正直抵抗はありました。なぜなら館の経営状況を公にすることは、恥ずかしいと考えたからです。周りからどのような目で見られるか、という不安もありました。しかし、意を決してチャレンジすることにしました。

スタート初日から徐々に寄付が集まり、わずか12日間という短期間で目標金額に到達しました。早期に目標を達成できたことは大きな喜びであることはいうまでもありませんが、それ以上に100人を超える方にご支援いただいたことは私たちにとって大きな自信となりました。本当にありがとうございました。

ところで、この度のコロナ禍を通して感じることは、あらためて私たち人間は社会的動物であるということです。ウイルスという目に見えない脅威によって人と人との繋がりが絶たれ、経済をはじめすべての社会生活が麻痺しました。この経験を今後の私たちの社会にどのように活かせばよいのでしょうか。新たな「学び」のテーマが見つかりました。私たちは終わりのない挑戦を続けて参ります。引き続き、応援よろしくお願いいたします。


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NPO法人

石見銀山資料館

〒694-0305

島根県大田市大森町ハ51番地1

0854890846

http://igmuseum.jp/

代表:仲野義文

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